みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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②歴史と民話とツーリング-三浦市

今も三浦半島を賑わす奉納相撲の先駆者 錦島三太夫の墓(三浦市)

三浦半島の数少ないランドマーク、引橋の交差点と三浦海岸を結んでいる国道134号線の途中に「半次」というバス停がある。 このバス停のすぐ前の交差点の角に、電信柱に隠れるようにしてひっそりと建っている墓石が見えるが、これは江戸時代の力士であり、…

極楽浄土の音色を奏でる 絢爛豪華なる迦陵頻伽の石仏(三浦市)

三浦半島を南北に貫く京浜急行の終端である三崎口駅から原付を5分ほど走らせると、真言宗飯盛山と号する妙音寺がある。 もとは北条氏の祈願所であったが現在は東国花の寺として、また各霊場の札所として登録されており訪れる人も多く、境内には数多くの真新…

奈良時代の豪族の墓 白山神社の切妻造妻入形横穴古墳(三浦市)

三浦半島の東側、ちょうど三崎口駅の右側の海岸沿いは海を見渡す丘の連なる、風光明媚で静かな菊名というところであるが、この中に木々に埋もれるようにしてあるのが鎌倉時代創建とされる菊名の白山神社であり、その主なご祭神は伊邪那岐尊(いざなぎのみこ…

源頼朝が通った 風光明媚な暮景崎(三浦市)

京浜急行三浦海岸駅の駅前の通りを南下し、三浦海岸の交差点から海沿いに南下していく道がある。 この道をずっと進んでいくと、以前紹介した「蛭田の鼻の狙撃用洞窟陣地」が見えてくる。 この「蛭田の鼻の狙撃用洞窟陣地」をぬけて少し行くと、左手の海に突…

数々の伝説を今に伝える 三浦海岸の琴音磯(三浦市)

三浦海岸の南側、十却寺から少し南側に行ったところの砂浜あたりには、小さな磯場が点在するところがあるが、この磯は一見して小さく、まったく無名の磯のように見えて「琴音磯」(ことねいそ)という立派な名を授けられており、今なお綺麗な砂浜の中に見え…

罪人の霊をなぐさめた 諸磯の六地蔵(三浦市)

三浦半島の先端、三崎のあたりから浜諸磯へと下っていく一本道がある。 その坂を下りきったところには諸磯の漁協と浜諸磯のバス停がある明るく開けた所があり、この場所はかつて罪人を取り調べる白州があったところであったとされており、古老たちは今でも白…

綺麗に削り取られた 霊川寺の庚申供養塔(三浦市)

京急線の終点、三崎口駅から西の果てに向かうとそこは三戸の集落である。 相模灘の奥に遠く富士山を仰ぎ見る三戸海岸と、うっそうとした木々の中に細い道が入り組んで残る昔ながらの町並みが広がっており、このような狭い道こそが原付の力の見せ所である。 …

漁民たちをしけから守った 農耕の神 赤辺稲荷(三浦市)

京浜急行の終着駅である三崎口駅から1,5キロほど北西に進んだ海沿いのあたりは古来から矢作(やはぎ)と呼ばれた里であるが、この矢作の里にある円徳寺の脇に、赤辺稲荷と呼ばれている小ぢんまりとした稲荷さまが祀られているのが見て取れる。 今となって…

村人たちを見守った引橋の送り狐(三浦市)

京浜急行三崎口駅から駅前の通りを南下していくと、今でも交差点名に名残を残す引橋というところに出る。 これは、かつてこの地を治めた三浦一族が三浦半島を要塞化していく途上で、谷間に橋をかけておき敵が来たら橋を挽いて渡れなくしてしまったので、今で…

荒行の中 日蓮聖人に思いを馳せた 日範上人の妙法経窟(三浦市)

京浜急行の終点である三崎口駅から西北に行くと、富士山の真下にどこまでも広がる相模灘を眺める雄大な景色が広がる浜があり、これが和田長浜である。 現在は和田長浜は海水浴場として有名であり、県内から多くの家族連れが車を横付けして浮き輪を片手に楽し…

漁師と九尾狐の悲哀を今に伝える きつね浜の伝説(三浦市)

三浦半島の先端に近い浜諸磯というところがある。 夏の海水浴シーズンでも訪れる人は少ない静かなところであるが、この浜諸磯の丘のふもとに磯に囲まれた狭い砂浜があり、地元の人はこれをきつね浜と呼んでおり、漁村に伝わる哀しき哀話を今なお伝える砂浜な…

貝の首飾りに身を包む 霊川寺のいぼとり地蔵(三浦市)

京急線の終点、三崎口駅から西の果てに向かうとそこは三戸の集落である。 相模灘の奥に遠く富士山を仰ぎ見る三戸海岸と、うっそうとした木々の中に細い道が入り組んで残る昔ながらの町並みが広がっており、このような狭い道こそが原付の力の見せ所である。 …

青春を投げ打ち 祖国へ身を捧げた 特攻隊の記憶(三浦市)

風光明媚きわまりない三浦半島を原付で走るとき、ひときわ高い丘の上から穏やかな入江を見渡せる場所がある。 この入江は江奈湾といって、今でこそ静かで訪れる人もまばらな漁港であるが、第二次世界大戦も末期の頃にはボートに爆弾を積んで敵艦に体当たりす…

小網代のカンカン石さまに込められた 漁師たちの願い(三浦市)

三浦半島の京急三崎口駅を降り、駅前の通りを南下して引橋の交差点を過ぎたら小網代方面に向かい、途中から小網代湾の方面に入る小道を見つけると、すぐに急な下り坂となっており小網代湾にたどり着くことができる。 いちど小網代湾に下り、人影もまばらな漁…

三戸の福泉寺に残る隠れキリシタンのマリア像と 徳本上人の揮毫石塔(三浦市)

京浜急行三崎口の駅を降り、駅前のみちを北上するとすぐに西側に入っていく農道がある。果てしなくつづくキャベツの畑を眺めながらその農道を西進し突き当りを左に折れ、また右に行くと鄙びた住宅街の中に静かにたたずむ福泉寺がある。 この福泉寺は龍圓山 …

路傍に佇む 庚申塔の彫刻美(三浦市)

京浜急行の終点である三崎口を降り、南側の引橋交差点から義士塚を横目に海に向かう細い道に、名も無き庚申塔の群れがある。 庚申塔自体は三浦半島では何ら珍しいものではなく、文字通りそこらじゅうにある物だが、その中には時として見事なまでに優美な造形…

蛭田の鼻の狙撃用洞窟陣地に 今昔の日本を想う(三浦市)

京浜急行三浦海岸駅から海に向けて歩く突き当たりに三浦海岸交差点があり、そこを右折して海沿いの道を南下して行くと南下浦の中学校があり、そのさらに南下した道路脇の崖に穴を開けているのが通称「蛭田の鼻の狙撃用洞窟陣地」である。 この周囲はもともと…

古刹に伝わる 河童の詫び証文の伝説(三浦市)

京浜急行三浦海岸駅を降り、駅前の通りを海に向かって歩いていくと、海を一望する三浦海岸交差点につく。 そこから海沿いの道を南下し、走湯神社入り口の交差点を折れて静かな海沿いの街を歩くと、静かでひなびた趣のある古刹にたどり着く事ができる。 この…

海中より出現した 毘沙門天の秘話(三浦市)

三浦半島の、どこまでも続く大根畑やブロコリー畑を眺めながら原付を走らせていると、道端にひっそりと建つ石塔が見えてくる。 近づいてよくよく見てみると、罵倒観世音の石仏に並んで「毘沙門尊天〇〇」と書かれた道しるべであり、裏に回ってみると「奉 祈…

花街に生き 漆黒の海に消えていった女たち(三浦市)

今ではマグロで有名な三浦三崎は、かねてより三浦水軍や北条水軍の拠点として栄え、その名残は今なお北条湾という名前が残されている事からも明確ではあるが、漁業の拠点としても栄えた上に江戸時代には廻船の寄港地としても栄え、その全盛時代には24軒も…

悲しき悲話のこる 小松ヶ池の怪(三浦市)

京浜急行の三浦海岸駅を降り福徳円満地蔵尊を右手に見ながら三浦海岸駅の交差点を入り、線路沿いの小道を三崎口駅方面に向かうと、階段上に堂ヶ島公園を見上げるあたりで京浜急行の線路をまたぐ高架橋となるが、その手前に入る道が「小松が池」へと降りてい…

時代の波に消えゆく 義士塚の悲話(三浦市)

今から600年の昔─── 神奈川県の三浦半島には、平安の昔より続く 三浦一族という豪族が勢力を保っていた。 その中でも、特に有名なのが、この二人。(英雄百首より) 三浦一族最後の首領といわれる、三浦道寸義同(みうらどうすんよしあつ)公と、道寸の子…

忘れ去られて久しき 元屋敷公園と宮田貞明居館の跡(三浦市)

別記事「下宮田の山村に伝わる虚無僧の伝説(三浦市)」の取材をするうち、宮田貞明という名が出てきたことに興味を持ち、少しネットで調べてみると下宮田に元屋敷公園というのがあり、それこそが三浦一族の末裔としてこの宮田を治めた宮田貞明の屋敷跡だと…

突如として田畑に出現する 不思議な猫石の怪(三浦市)

京浜急行の終点三崎口駅から駅前の通りを北上し、初声市民センターの脇を流れている小さな流れをさかのぼる。この流れは一番川という川で、しばらく川に沿って上っていくと「風早(かざはや)」と呼ばれる谷戸に出るあたりで川と道が分かれるので、細い路地…

菊名の水間さまと 武将の乳母の伝説(三浦市)

京浜急行の終点である三崎口駅を降り、駅前の国道134号線を南下していくと引橋の交差点がある。 引橋は大きな三叉路だが、実は左手に登っていく細い路地があり、この細い路地をずっと登っていくとやがて菊名川の上流に出る事が出来る。 ここまで来ると三…

下宮田の山村に伝わる 虚無僧の伝説(三浦市)

今では時代劇などでしか目にすることのない虚無僧(こむそう)だが、本来は「薦僧」(こもそう)ともいい、普化宗(普化宗 - Wikipedia)の開祖となった普化禅師(普化 - Wikipedia)を慕う武士が有髪のまま薦座に座って修行をした事から、その名がついたと…

今なお残る 六十六部巡礼者の慰霊碑と悲話(三浦市)

三浦半島は京浜急行の終点、三崎口駅から少し南下すると国道134号線に「三戸入口」という交差点があり、この交差点から三戸浜海岸へ続くカーブした道が通称「御用邸道路」である。 昭和初期、海洋生物の研究に熱心であった昭和天皇が、海洋生物がとりわけ…

「東京湾要塞」のつめあと (三浦市・逗子市)

◎もくじ◎ ◆東京湾要塞とは・・・? ◆三浦半島へ ◆日本陸軍 東京湾要塞 剣崎砲台 ◆日本陸軍 東京湾要塞 剣崎砲台 大浦探照灯格納庫 ◆横須賀海軍鎮守府 特攻戦隊 大浦震洋格納壕 ◆横須賀海軍鎮守府 蛭田洞窟陣地 ◆横須賀海軍鎮守府 大崎洞窟陣地 ◆東京湾要塞と…

三浦市の悲話と伝説 (三浦市)

今から500年の昔─── 神奈川県の三浦半島には、平安の昔より続く 三浦一族 という豪族が勢力を保っていた。 その中でも、特に有名なのが、この二人。(英雄百首より) 三浦一族最後の首領といわれる、三浦道寸義同(みうらどうすんよしあつ)と、道寸の子…

タッチャバ塚と錫杖観音の由来(三浦市)

京浜急行 三浦海岸駅からバスに揺られる事20分。 三浦半島の南東の端、「松輪」バス停に降り立った。 辺りを見回せばスイカ畑が広がり、すぐ近くには波打ち寄せる海岸が迫っている。 歩く人は誰一人としておらず、海開きを迎えた三浦半島の風景にしてはあ…

 

 

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