みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのJog・CE50。時速30キロで見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

漁師と九尾狐の悲哀を今に伝える きつね浜の伝説(三浦市)

三浦半島の先端に近い浜諸磯というところがある。

夏の海水浴シーズンでも訪れる人は少ない静かなところであるが、この浜諸磯の丘のふもとに磯に囲まれた狭い砂浜があり、地元の人はこれをきつね浜と呼んでおり、漁村に伝わる哀しき哀話を今なお伝える砂浜なのである。

 

f:id:yokohamamiuken:20190801082615j:image

 

昔このあたりの沖合で漁に出ていた船が、突如としてふってわいたような大しけにあった。

乗っていた漁師は十数人いたが、不運なことに全員帰らぬ人となってしまったのである。

 

それ以来、この浜に立つと凪の日でも風がない日でも、どこからか櫓をこぐギコー、ギコーという音が聞こえるようになったばかりでなく、時として死者がうめくような悲しげな声まで聞こえるようになり、それからというもの、この辺りは長らく人が寄り付かない寂しい場所であったという。

 

 f:id:yokohamamiuken:20190801082628j:image

 

また、三浦一族の最後の武将として名高い三浦荒次郎義意にまつわる伝説も残されている。

 

かつて、この近くに新井城があったころの話である。

三浦荒次郎義意が海に向かって矢を試しうちしていたころ、たまたまこの近くに住みついていた大きな狐に当たって、狐はこの砂浜に転がり落ちて死んでしまった。

 

九本の尾が美しい老齢の狐であったが、村人はこれを哀れと思い砂浜の上の高台に塚を築いてねんごろに供養してやったのである。

 

 

しかし、この塚は夜ごと高台の上を動き回るようになり、毎朝々々場所を変えていたので村人は大いに恐れおののき、みだりにこの塚に近づかないように、この塚に触れると病にかかるとまでの噂まで立てたのだという。

 

この狐塚は現在も真新しい石碑が立てられて、「ぐみが作」と呼ばれる台地上の畑の中にいまでも鎮座されているということであったが、畑は個人の所有地なので許可もなく分け入ることはしなかったために詳しい場所までは知ることが出来なかった。

 

おそらく、台地上の畑の中に、作物に埋もれるようにして、いまでもひっそりと祀られているのであろう。

 

f:id:yokohamamiuken:20190713145241p:image


きつね浜に立ち、海を挟んだ対岸にはかつて新井城であった油壷の小さな半島が見えている。今となっては水族館とマリーナが並び、家族連れが車でやってくる平和な所であるが、かつて凄惨な戦乱の舞台となったところでもある事を忘れてはならない。

f:id:yokohamamiuken:20190801082607j:image

このきつね浜は実に水の透明度が高く、少しの濁りもない美しい海であった。

かつてはこの浜から漁師が漁に出て、また大きな九本の尾をなびかせた美しい狐が闊歩していたことだろうか。

 

今となっては訪れる人もまばらで、実に静かな波打ち際といった海岸であるが、その寄せては返す一波一波のなかにまで、ここに生きてきたものたちの哀しい哀話がこめられているのである。