②歴史と民話とツーリング-海老名市
現在、海老名市の有馬小学校があるあたりは、かつては中河内という字名で呼ばれていました。 このあたりは現在では静かな農村地帯が広がり、小高い小山たちの間を縫うようにして田畑が広がり、その中を真新しいランドセルを背負った1年生たちが列をなして下…
海老名駅から歩いて15分もかからない住宅街の中に、通称「お薬師様」と呼ばれ、親しまれている相模国分寺という高野山真言宗の古刹があります。 これは寺伝によれば、天平年間に聖武天皇の御勅願によって建立された「相模国分寺」そのものであるとされ、行…
海老名市の国分というところに、臨済宗建長寺派の瑞雲山 龍峰寺(ずいうんさん りゅうほうじ)というお寺があります。 ここにはかつて「清水寺」(せいすいじ)というお寺があったために、その名前は「清水寺公園」などの名前となっています。 この清水寺は…
海老名駅の東側、相模国分寺跡の近くの交差点の脇に海老名市消防団の第一分団の詰め所があります。 ここでは、普段はサラリーマンや自営業などで働く方々が地域の防災を担う拠点として、日夜訓練や消防車の手入れなどをされています。 いつもお疲れさまです…
海老名市下今泉の鶴松交差点のところは、田んぼが広がる中に徐々に新しい建物も出来始め、道路も大きく広がって日々その姿を変えつつあります。 昔、この鶴松というところに、とても働き者で正直者、かつ親孝行の彦六という若者が住んでいたそうです。 ある…
海老名市の国分というところに、臨済宗建長寺派の瑞雲山 龍峰寺(ずいうんさん りゅうほうじ)というお寺があります。 ここにはかつて「清水寺」(せいすいじ)というお寺があったために、その名前は「清水寺公園」などの名前となっています。 この清水寺は…
JR相模線の海老名駅と入谷駅の中間あたりに、蛭沼踏切という踏切があります。 蛭沼・・・ 聞くだけでウズウズというか、鳥肌が立ってしまう名前です。 みうけんはヒルが大嫌いです。 ヒルに罪はないんですし、ナメクジやゲジゲジやムカデを見てもふーん( …
海老名駅から小田急線に沿って北上していくと、線路沿いの住宅街の中に大きく開けた芝生の公園があります。 公園とは言っても目立った遊具などはありません。 その中には小さな庚申堂の祠と、いくつかの石仏が残されていますが、ここはかつて相模国分尼寺が…
海老名市の中心からは遠く離れた杉久保の里は、現在では住宅が立ち並ぶ住宅街であり、かつてどのような光景が広がっていたのか想像すらかなわぬ変貌ぶりである。 そのバス停に並ぶ一角に、時の流れを止めてしまったかのようにひっそりと建てられた地蔵堂が地…
小田急線と相鉄線・相模線が交わる海老名駅は、20年ほど前まではある程度の発展を見せながらもどこかにのどかさを残し、駅前には多くの田んぼも見られたが、ここ20年ほどの間に著しい発展を見せ、その賑わいはもはや本厚木駅のそれを抜かそうとしている…
開発の波著しく、日々その姿を変えていく海老名駅前から国分寺の跡に向かい、その裏の細い急坂を原付でグイグイ登っていくと、こぢんまりとした墓地の向こうに丹沢大山の遥かなる山並みを望み、顔に当たる風も清々しい丘の上に出る事ができる。 この坂道は、…
小田急線の座間駅近辺は、今となっては閑静な住宅街となり東京や横浜のベッドタウンとして宅地開発も著しく、発展する海老名の駅前と合わせて日々その姿を変えつつある。 その住宅街を蛇のようにうねりながら貫いて行く目久尻川の、かつては農業用の用水とし…
JR相模線の入谷駅の近辺は、首都圏の駅前とは思えないのどかな農村地帯であるが、入谷駅から南側の鳩川という小川にそそぐ用水路をまたぐ踏切を目印に、原付を走らせていく。 このあたりは農業指定地区となり、周囲は田んぼばかりが広がって聞こえるのはカ…
発展著しい海老名駅から南側に離れると、なつかしい光景を今なお留める大谷の里に出る。この地域を南北に走るのが大谷座間線と呼ばれている生活道路である。 この道路沿いには人知れずしてひっそりと立つ社があり、その隅々にまで掃除は行き届いて清潔に守ら…
ある日、海老名市は大谷というところを原付でチャリチャリ走っていて、ふと住宅街の一角にあるゴミ集積所に目が止まった。 写真のとおり、普通ならば何も意識せずに通り過ぎてしまうような小さなゴミ集積所なのだが、その片隅にあり、とても気になったものが…
今年も行って参りました!! 知らない方もいると思いますが、実は自分は農業高校出身なのです。 幼少の頃よりの動物好きと料理好きが嵩じて、そのまま農業高校へ。 3年間、泥と動物にまみれた楽しい高校生活でした。 わが母校は神奈川県で一番広い敷地面積…