みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

②歴史と民話とツーリング-三浦市

いまなお伝わる八景原と神明社の逸話 宮川村旅情(三浦市)

三浦半島の先端、三浦市宮田町の通称「八景原」というところがあります。 このあたりは海に面する断崖絶壁で、三崎遊郭に売られた遊女が逃げ出して身を投げたことから、一時期は自殺の名所とされてしまい近寄る人はあまりいませんでした。 現在は、その遊女…

稀に見る珍しき 牛頭観音群像(三浦市)

三浦半島の先端に、宮川町というところがあります。 平坦な場所で三崎をのぞむ高台にあり、すぐ先は八景原の断崖となって、三崎の遊女屋から逃げ出した遊女が海に身を躍らせた悲しい場所として紹介させていただいた事もあります。 もともと、この宮川のあた…

見ているだけでも楽しい 心光寺の変わった庚申塔(三浦市)

横須賀から三崎口駅を通じて、三浦三崎まで伸びる横須賀三崎線という道があります。 このあたりの主要な交通路ですが、なかなかに交通量も多い道です。 その「油つぼ入り口」交差点のあたりを西に入っていく細い道の奥に、浄土真宗本願寺派寺院である白蓮山 …

小説のモデルともなったか 三戸の畑の丸山塚(三浦市)

どこまでも続く広い広い相模灘のさざなみの奥には秀麗富士を仰ぎ見る、文字通り風光明媚な三浦市の三戸浜というところがあります。 この三戸浜は夏にでもなれば砂浜で遊ぶ人が多く集まる賑やかなところですが、その砂浜に沿って広がる集落は三浦の海沿いの町…

元の地に還りたいと夢枕に立った 三浦の原稲荷神社(三浦市)

引橋から三崎口へと下っていく県道26号線、通称「横須賀三崎線」の城ヶ島入り口交差点から東へ300メートルのところ、住宅街が途切れて畑となるあたりの小高いところに、原稲荷神社というお稲荷様があります。 この近辺の原区には、4年毎の9月の始めに…

朝廷とともに戦った悲運の武将 三戸友澄の墓所(三浦市)

大海原の果てに秀麗富士を望む風光明媚な三戸の浜から、内陸のほうに原付のハンドルを向けました。とちゅう、宝徳寺の前を通り過ぎると道は突き当りとなり、半分土に埋もれかけた「三戸公園」の石柱を見つけることができます。 その石柱の上の方には、よくよ…

哀れな九尾狐を祀った ぐみが作の狐塚(三浦市)

以前、「 漁師と九尾狐の悲哀を今に伝える きつね浜の伝説(三浦市)」という記事を書いたことがあります。 まだ新井城があったころに、三浦荒次郎義意が海に向かって矢を試しうちしていたころ、たまたまこの近くに住みついていた九本の尾を持つ大きな老狐に…

和田義盛が神仏の加護を願った 庄司川とわくりの大井戸の碑(三浦市)

あるうららかな春の日、三浦市初声町の高円坊の里へとやってきました。 この地は和田義盛の孫である和田朝盛が高円坊と名乗り、僧として住んだことが地名の由来とされています。 この辺りは三浦一族の傍流である和田氏とかかわりが深く、畑の真ん中に残され…

高台の茂みに埋もれる 朝盛塚の由来と哀話(三浦市)

三浦市初声町の高円坊というところに、この地域の鎮守である高円坊日枝神社があります。 この神社は三浦半島の中でも比較的高台に位置しており、眼下には東京湾を望むことができて、その背後には富士山をいただく、とても風光明媚なところです。 この広い丘…

生きとし生けるものに感謝をささげた 福泉寺前の一切亡虫魚の墓(三浦市)

みうけんは、神奈川県の三浦半島が大好きです。 山と海の美しさを兼ね備え、実に風光明媚で歴史も奥深く、よって見どころも多く、自宅からも近い。 とにかく、ブログのネタにも事欠きません。 そんな三浦半島を、今日も元気に原付で駆け抜けました。 燦燦と…

三浦荒次郎義意公の奥方を供養する 無住の霊照院(三浦市)

三浦半島の「油つぼ入口」から新井城址や油壷の方に入る小道、いわゆる県道216号線(油壷みち)を西へ進んでいきました。 途中、脇にそれる道があり、地図を見ると古道が走っているようだったので脇道にそれて原付をゆっくりと走らせていきました。 いか…

江戸城の石垣の石か 三戸浜に眠る巨石「天神丸」(三浦市)

三浦半島のランドマーク、三崎口の駅からまっすぐ西へ向かうと三戸の砂浜に突き当たります。ここは背後に三浦半島の里を背負い、眼前に雄大に広がる相模灘と、晴れた日には遠く富士山も眺めることができる風光明媚なところです。 この近くには鎮守である上諏…

三浦道寸公奥方の隠れ寺 原のかんのんさま(三浦市)

三浦市の「油つぼ入口」の交差点から南東に160メートルのところ、畑が続く農道の脇に小さな階段があります。 最近になって「如意輪観世音菩薩」の看板が出て分かりやすくなりましたが、ここは通称「原のかんのんさま」と呼ばれ地域で親しまれている、臨済…

家畜の供養を願った 珍しい豚頭観音像(三浦市)

横須賀から三崎口駅を通じて、三浦三崎まで伸びる横須賀三崎線という道があります。 このあたりの主要な交通路で、なかなかに交通量も多く、その「油つぼ入り口」交差点のあたりを西に入っていく細い道の奥に、浄土真宗本願寺派寺院である白蓮山 観音堂 心光…

大蛇の怒りを鎮めた 磯の中に残された剱崎神社(三浦市)

三浦半島をツーリングしていてよく通るのが、三浦半島南端をぐるりと周回するように走る県道215号線である。 この215号線の剱崎バス停の南の信号を入って海沿いに降りていくと、そこは道しるべもなく通る人も少ない細い農道となっていく。 どこまでも…

三浦一族悲劇の哀話 原の身代わり地蔵堂(三浦市)

愛車シグナスXで三崎街道を南下していく。 途中、京浜急行の三崎口の駅を過ぎ、引橋の交差点を過ぎて松輪入口、油つぼ入口、宮川入口と象徴的な名前の信号を過ぎて栄町商店街に入っていくと、道の両側に庚申塔や墓碑が並び、枝を切られた銀杏の樹の奥に寂れ…

十王と閻魔と人頭杖の伝説 三崎東岡の廃寺・無縁寺(三浦市)

三浦市のバス停「三崎東岡」のあたりまで来れば商店も多く、かつての三浦三崎の賑わいをかすかに留めるところです。 この三崎東岡のバス停から少し南下した所の角を入っていくと、路地の脇に古びたコンクリート製の階段が見え、その脇に簡素な地蔵堂が建って…

福徳とカヤの両祭神 下宮田の飯森神社(三浦市)

三浦半島のランドマークである引橋の交差点から、三浦海岸に至る道が国道134号線です。 国道とはいっても平日の昼間ともなれば、通る車も地元の車ばかりとなります。まさに地元の方の生活道路といった感じがします。 その134号線の下宮田交差点から西…

かつては神域と恐れられた 剱崎の星見の池(三浦市)

三浦半島をツーリングしていてよく通るのが、三浦半島南端をぐるりと周回するように走る県道215号線である。 この215号線の剱崎バス停の南の信号を入って海沿いに降りていくと、そこは道しるべもなく通る人も少ない細い農道となっていく。 どこまでも…

里人から恐れられた 根本坂の今日塚(三浦市)

交通量の多い三浦海岸の駅前の道を山側へと登り、青木田公園の角を右に入ります。 この先はかつて田んぼばかりだった谷戸で、現在は開発され住宅街となっていますが、この先の2つ目の角を左に折れると右手の畑の上に山林を見上げる奥まった道となります。 …

唖(おし)を気にした 和田の天王様(三浦市)

わが蔵書「三浦半島の史跡と伝説」(松浦豊著)という古い本に、気になる話が載っていました。 和田にかつてあった天王様のご祭神は「唖(おし)であった」というのです。 唖(おし)という言葉は現在ではすっかり死語になってしまいましたが、要は上手に話…

和田義盛の遺勲を伝える? 初声の矢羽の壁(三浦市)

三崎口の駅前の三崎街道を北上し、初声小学校入り口の交差点を東へ入ると初声市民センターがあります。 このあたりは初声と書いて「はっせ」と読み、平安時代から鎌倉時代にかけて三浦一族の豪将であった和田義盛公の所領となった場所でもあります。 何の気…

伊豆大島から放った矢が落ちた 三浦半島南端の矢の根井戸(三浦市)

三浦半島をツーリングしていてよく通るのが、三浦半島南端をぐるりと周回するように走る県道215号線である。 この215号線の剱崎バス停の南の信号を入って海沿いに降りていくと、そこは道しるべもなく通る人も少ない細い農道となっていく。 どこまでも…

松と竹との闘いの場 光念寺の伝説(三浦市)

眼下に城ヶ島を望む小高い丘の上に、浄土宗の古刹である見竜山・無量寿院・光念寺という寺がある。 歴史ある古刹であるとともに、数多くの民話が残され、現在となっては併設された幼稚園の園児たちが楽しげに遊ぶ声が境内にこだまし、寺の境内からは入り江の…

急傾斜の崖に残された 小さなトンネルの朽ちたお社(三浦市)

眼下に城ヶ島を望む小高い丘の上に、浄土宗の古刹である見竜山・無量寿院・光念寺という寺がある。 歴史ある古刹であるとともに、数多くの民話が残され、現在となっては併設された幼稚園の園児たちが楽しげに遊ぶ声が境内にこだまし、寺の境内からは入り江の…

和田義盛の守護神となった 筌竜弁財天の由来(三浦市)

眼下に城ヶ島を望む小高い丘の上に、浄土宗の古刹である見竜山・無量寿院・光念寺という寺がある。 歴史ある古刹であるとともに、数多くの民話が残され、現在となっては併設された幼稚園の園児たちが楽しげに遊ぶ声が境内にこだまし、寺の境内からは入り江の…

謀略と慈しみの武将だったか 三浦義村公の墓(三浦市)

冬風が吹き荒ぶ三浦海岸の海沿いで旋回するトンビを眺めながら、快調に原付を走らせていたところ、ふと崖上に伸びる階段に目が行った。 その脇には、うっすらと「三浦義村の墓」と壁に書かれており、これはっ!! と、この階段に吸い寄せられるようにして登…

海に剣を投じて波浪を鎮めた 剱崎の由来(三浦市)

四季を通じて風光明媚な三浦半島は、農業と漁業の町でありながら観光にも力を入れており、特に遠洋マグロ漁業で名を馳せる三浦三崎の町には観光客目当ての店が軒を連ね、「三崎まぐろきっぷ」の販売も功を奏してか、週末ともなればたいへんな賑わいである。 …

異国の地で離ればなれとなった 妻に会いに来た侍の亡霊(三浦市)

江戸幕府の権勢にもかげりが見え始めた江戸幕府の末ごろの時代、4隻の黒船が来航したのを契機として、徳川幕府は江戸湾防備のために三浦半島の海岸線に沿って彦根藩、会津藩、川越藩、忍藩からなる各藩士を集めては、陣屋と台場を築かせて江戸湾防備の任に…

海に生きた漁師たちの無念 花暮のお石塔さま(三浦市)

三浦消防署三崎出張所は、かつて三浦市消防本部花暮消防署といった。 このあたり一帯、特に岸壁を花暮岸壁と呼んでいるが、このあたりは大正時代に埋め立てられるまでは一面の磯場で、起伏にとんだ岩の間を波しぶきがたたきつけ、その陰では子供たちが海藻取…