②歴史と民話とツーリング-三浦市
三浦半島は自宅からも近く、少し原付で走れば風光明媚な光景が楽しめるところです。 実に気軽に行けるとあって、みうけんのお気に入りのツーリングスポットです。 さて、この度三浦半島の先端の離れ小島、城ヶ島へとやってきました。 原付(125cc)であ…
夏の風と日差しが気持ち良いこの時季、三浦半島へやってきました。 三浦半島はみうけんにとっては定番のツーリングスポットで、どこに立ち寄っても素晴らしい風景と歴史を堪能することができるので、心からお気に入りな場所です。 さて、最近まで有料だった…
久々に三浦半島にやってきました。三浦半島の先端、城ヶ崎に来たのは何年ぶりかなと思いますが、城ケ島の東側一帯に広がる城ヶ島公園の下側、東に突き出たあたりは「安房崎」と呼ばれています。この対岸はかつて安房国と呼ばれた房総半島先端であった事から…
夏の風と日差しが心地よい夏の日の午後、原付を走らせて城ケ島へとやってきました。 原付(2種)であれば、一周したって15分もあれば巡れてしまう小さな島ではありますが、島の東側一帯は「城ケ島公園」として整備されています。 この城ケ島公園の下側、…
三浦半島の先端あたりを原付で走っていて、毘沙門という所に出てきました。 この毘沙門という地名は海中から毘沙門天の木像が出てきた事にちなむもので、この毘沙門天については以前にも紹介させた頂いたことがあります。 www.miuken.net この地域のバス停「…
三崎口駅前の三崎通りを南下し、 「三戸入口」交差点から西側の御用邸道路へと入ります。 大きく弧を描いてカーブする御用邸道路の、さらに先の三戸の集落の片隅にあるのが、阿弥陀如来さまをご本尊にいただく浄土宗寺院の龍徳山 光照寺です。 この寺の開山…
三浦半島を縦断する三崎街道を原付で南下していきました。 とちゅう、三崎警察署をすぎて米屋のある所を曲がっていくと、細い道筋に小さな鳥居を構えたこぢんまりとしたお社が見えてきます。 これが三崎の妙義神社のお社です。 「妙義神社」と聞いて思い出す…
三浦市の三崎口駅前の「三崎通り」をずっと南下して行くと、三崎の市街地に当たりますが、現在では湘南信用金庫の三崎支店があるあたりは明治25年(1892年)頃までは街道の宿場であったと言わています。 幕末の頃には三崎支店のあたりには「陣屋」があ…
人気の少ない三戸浜に沿って原付を走らせると、そこに穏やかに広がる砂浜と、雄渾なる相模灘の向こうには富士山が見えてきます。 富士山の頂上にはすっかり雪が積もって、もうすぐ冬という装いが感じられます。 さて、この三戸浜から海岸沿いの集落に入って…
わくり井戸のあるところから、初声保育園へと向かって小高い丘を上がっていくと、途中で和田家の住宅の片隅に簡素な冠木門が見えてきます。 この和田家のある所はもともと「五劫寺」という寺があったところです。 「五劫寺」という寺がどういうお寺であった…
三崎口駅前から駅前の三崎通りを南下し、三戸入口の交差点から御用邸道路へ入っていきます。 大きく弧を描いて走る御用邸道路を抜けたところにあるのが、浄土宗寺院で阿弥陀如来さまをご本尊にいただく、龍徳山 庄司院 光照寺です。 このお寺は鎌倉にある浄…
みうけんが尊敬する三浦半島の歴史研究家に、松浦豊先生という方がいらっしゃいます。 いや、もう「いらっしゃいました」と過去形にするのが正しいのでしょう。 ずいぶん前に鬼籍に入られて「たしか三崎のどこかのお寺にお墓があると思います」(光照寺ご住…
前回では、三浦氏最後の領主といわれる三浦道寸義同公の辞世の句を紹介しました。 www.miuken.net では、その息子とされる三浦荒次郎義意公はどうでしょう。 三浦荒次郎義意公は「英雄百首」に三浦道寸義同公と並んで紹介されています。 三浦道寸義同公の子…
原付のエンジンをふかし、ただひたすらに三浦半島を南下して三崎口駅前を通過していきます。 とちゅう、引橋をすぎたところで右にそれていく道をすすんでどこまでもいくと、最終的に京急油壷マリンパークがあるところに出ます。 もう、このブログの読者の皆…
三浦道寸義同公と三浦荒次郎義意公率いる三浦一族が北条一族に攻め落とされた悲運の地、油壺を訪れました。 義士塚やなもた坂のあるところから油壺のマリンパークへとまっすぐ進む油壺線という道をそれて南側へ行くと、油壺の半島の付け根の所に油壺公園とい…
三浦市の宮川というところがあります。 三浦三崎の中心部から東に1キロほどいった、観光客もあまり訪れないところで、ここまで来れば宮川の集落の周りは一面の畑と森が広がっています。 その宮川集落の真ん中のあたりにあるのが浄土真宗寺院の「円覚寺」と…
三浦市の三崎口駅の南側の「三戸入口」の交差点から、三戸海岸へと向かう「御用邸道路」へと原付を走らせていきます。 田畑のなかを西へと向かっていく途中、御用邸道路は南に向かって大きくカーブを描きますが、その路傍に4基の庚申塔と1基の青面金剛像が…
さて、三浦一族の豪将であった和田義盛が深く帰依したとされる「安楽寺」のシリーズも、これで三回目です。 前回は道路拡張によって廃された安楽寺の跡地と、その御本尊様であった薬師如来さまが移された天養院を見てきました。 今回は、安楽寺の本堂であっ…
三崎口の駅前から三崎街道を北上してしばらく行くと、和田という里があり、三浦大介義明公の孫にあたる和田義盛のゆかりの地であったこと、和田義盛の館の裏鬼門を守っていた安楽寺が戦時中の道路拡張により廃寺となった事は、前回の記事でお伝えしました。 …
三浦半島を南北に縦断する三崎街道は、三浦市初声町の和田というところを通過します。 この和田という地名は、三浦一族の中でももっとも有名な頭領のひとり、三浦大介義明公の孫にあたる和田義盛にゆかりのあるところです。 その和田の里、三崎街道に面した…
神社や仏閣を見て回っていると、必ず目にするものがあります。 「絵馬」です。 今では小さな絵馬を買い求めて願い事を書き込み、神前に奉納するのが一般的ですが、かつては大絵馬というものがあり、日本画の絵師たちによって盛んに描かれたものが数多く奉納…
三浦三崎の交差点「油つぼ入口」から西へと原付を走らせました。 約500メートルいくと、道筋の階段の上にひっそりと佇んでいる浄土宗寺院である荒井山 潮音寺 真光院というお寺にたどり着きます。 このお寺は阿弥陀如来の立像をご本尊様としていただき、…
三浦半島の小松ヶ池公園の西方に、京急線の線路をまたぐ跨線橋があります。 その跨線橋を渡って北へ200メートルあまり原付を走らせると、やがて畑ばかりのところとなり、そのあたりから西へ入っていく狭い下り坂がありました。 これは地図を見るに、安楽…
三浦海岸駅から須軽谷を通り、武を通じて一騎塚の交差点に至る道が県道214号線です。 その中には「高円坊」というバス停があり、ここにバス停の屋根のようにして、立派な藤棚が育てられているのが目に入ります。 この「高円坊」バス停は、かつては「藤棚…
どこまでも続いている三浦海岸沿いを走る国道134号線という道路があります。 海沿いを走る風光明媚な道路で、みうけんのツーリングの定番コースなのですが、この道から三浦海岸駅近くの「諏訪神社入り口」の交差点へと入り、山側へ向かって原付をギュンギ…
三浦半島の先端、三浦市宮田町の通称「八景原」というところがあります。 このあたりは海に面する断崖絶壁で、三崎遊郭に売られた遊女が逃げ出して身を投げたことから、一時期は自殺の名所とされてしまい近寄る人はあまりいませんでした。 現在は、その遊女…
三浦半島の先端に、宮川町というところがあります。 平坦な場所で三崎をのぞむ高台にあり、すぐ先は八景原の断崖となって、三崎の遊女屋から逃げ出した遊女が海に身を躍らせた悲しい場所として紹介させていただいた事もあります。 もともと、この宮川のあた…
横須賀から三崎口駅を通じて、三浦三崎まで伸びる横須賀三崎線という道があります。 このあたりの主要な交通路ですが、なかなかに交通量も多い道です。 その「油つぼ入り口」交差点のあたりを西に入っていく細い道の奥に、浄土真宗本願寺派寺院である白蓮山 …
どこまでも続く広い広い相模灘のさざなみの奥には秀麗富士を仰ぎ見る、文字通り風光明媚な三浦市の三戸浜というところがあります。 この三戸浜は夏にでもなれば砂浜で遊ぶ人が多く集まる賑やかなところですが、その砂浜に沿って広がる集落は三浦の海沿いの町…
引橋から三崎口へと下っていく県道26号線、通称「横須賀三崎線」の城ヶ島入り口交差点から東へ300メートルのところ、住宅街が途切れて畑となるあたりの小高いところに、原稲荷神社というお稲荷様があります。 この近辺の原区には、4年毎の9月の始めに…