みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

②歴史と民話とツーリング-三浦市

十王と閻魔と人頭杖の伝説 三崎東岡の廃寺・無縁寺(三浦市)

三浦市のバス停「三崎東岡」のあたりまで来れば商店も多く、かつての三浦三崎の賑わいをかすかに留めるところです。 この三崎東岡のバス停から少し南下した所の角を入っていくと、路地の脇に古びたコンクリート製の階段が見え、その脇に簡素な地蔵堂が建って…

福徳とカヤの両祭神 下宮田の飯森神社(三浦市)

三浦半島のランドマークである引橋の交差点から、三浦海岸に至る道が国道134号線です。 国道とはいっても平日の昼間ともなれば、通る車も地元の車ばかりとなります。まさに地元の方の生活道路といった感じがします。 その134号線の下宮田交差点から西…

かつては神域と恐れられた 剱崎の星見の池(三浦市)

三浦半島をツーリングしていてよく通るのが、三浦半島南端をぐるりと周回するように走る県道215号線である。 この215号線の剱崎バス停の南の信号を入って海沿いに降りていくと、そこは道しるべもなく通る人も少ない細い農道となっていく。 どこまでも…

里人から恐れられた 根本坂の今日塚(三浦市)

交通量の多い三浦海岸の駅前の道を山側へと登り、青木田公園の角を右に入ります。 この先はかつて田んぼばかりだった谷戸で、現在は開発され住宅街となっていますが、この先の2つ目の角を左に折れると右手の畑の上に山林を見上げる奥まった道となります。 …

唖(おし)を気にした 和田の天王様(三浦市)

わが蔵書「三浦半島の史跡と伝説」(松浦豊著)という古い本に、気になる話が載っていました。 和田にかつてあった天王様のご祭神は「唖(おし)であった」というのです。 唖(おし)という言葉は現在ではすっかり死語になってしまいましたが、要は上手に話…

和田義盛の遺勲を伝える? 初声の矢羽の壁(三浦市)

三崎口の駅前の三崎街道を北上し、初声小学校入り口の交差点を東へ入ると初声市民センターがあります。 このあたりは初声と書いて「はっせ」と読み、平安時代から鎌倉時代にかけて三浦一族の豪将であった和田義盛公の所領となった場所でもあります。 何の気…

伊豆大島から放った矢が落ちた 三浦半島南端の矢の根井戸(三浦市)

三浦半島をツーリングしていてよく通るのが、三浦半島南端をぐるりと周回するように走る県道215号線である。 この215号線の剱崎バス停の南の信号を入って海沿いに降りていくと、そこは道しるべもなく通る人も少ない細い農道となっていく。 どこまでも…

松と竹との闘いの場 光念寺の伝説(三浦市)

眼下に城ヶ島を望む小高い丘の上に、浄土宗の古刹である見竜山・無量寿院・光念寺という寺がある。 歴史ある古刹であるとともに、数多くの民話が残され、現在となっては併設された幼稚園の園児たちが楽しげに遊ぶ声が境内にこだまし、寺の境内からは入り江の…

急傾斜の崖に残された 小さなトンネルの朽ちたお社(三浦市)

眼下に城ヶ島を望む小高い丘の上に、浄土宗の古刹である見竜山・無量寿院・光念寺という寺がある。 歴史ある古刹であるとともに、数多くの民話が残され、現在となっては併設された幼稚園の園児たちが楽しげに遊ぶ声が境内にこだまし、寺の境内からは入り江の…

和田義盛の守護神となった 筌竜弁財天の由来(三浦市)

眼下に城ヶ島を望む小高い丘の上に、浄土宗の古刹である見竜山・無量寿院・光念寺という寺がある。 歴史ある古刹であるとともに、数多くの民話が残され、現在となっては併設された幼稚園の園児たちが楽しげに遊ぶ声が境内にこだまし、寺の境内からは入り江の…

謀略と慈しみの武将だったか 三浦義村公の墓(三浦市)

冬風が吹き荒ぶ三浦海岸の海沿いで旋回するトンビを眺めながら、快調に原付を走らせていたところ、ふと崖上に伸びる階段に目が行った。 その脇には、うっすらと「三浦義村の墓」と壁に書かれており、これはっ!! と、この階段に吸い寄せられるようにして登…

海に剣を投じて波浪を鎮めた 剱崎の由来(三浦市)

四季を通じて風光明媚な三浦半島は、農業と漁業の町でありながら観光にも力を入れており、特に遠洋マグロ漁業で名を馳せる三浦三崎の町には観光客目当ての店が軒を連ね、「三崎まぐろきっぷ」の販売も功を奏してか、週末ともなればたいへんな賑わいである。 …

異国の地で離ればなれとなった 妻に会いに来た侍の亡霊(三浦市)

江戸幕府の権勢にもかげりが見え始めた江戸幕府の末ごろの時代、4隻の黒船が来航したのを契機として、徳川幕府は江戸湾防備のために三浦半島の海岸線に沿って彦根藩、会津藩、川越藩、忍藩からなる各藩士を集めては、陣屋と台場を築かせて江戸湾防備の任に…

海に生きた漁師たちの無念 花暮のお石塔さま(三浦市)

三浦消防署三崎出張所は、かつて三浦市消防本部花暮消防署といった。 このあたり一帯、特に岸壁を花暮岸壁と呼んでいるが、このあたりは大正時代に埋め立てられるまでは一面の磯場で、起伏にとんだ岩の間を波しぶきがたたきつけ、その陰では子供たちが海藻取…

悲運の生涯を送った頼朝の側室 妙悟尼の哀話(三浦市)

三浦半島の先端、まぐろの遠洋漁業で栄えた三浦三崎の街の、北条湾に面した丘のふもとにあるのが、もと源頼朝の別荘跡であるという金剛山大椿寺(こんごうさん・だいちんじ)である。 この寺は源頼朝が愛した三崎三御所の一つとして知られ、かつては境内に椿…

真実か伝説か 菊名左衛門重氏の墓(三浦市)

春うららかな陽光に照らされながら、延々と続く風光明媚な三浦海岸の南端、三浦農協の南下浦支店の角を山側に入っていくと、左側の角に庚申塔が残る小路に分岐する。 その小路を入っていくと、右手には田保谷戸といわれる農地が山に抱かれるようにして広がり…

竜神 浅間さまを祀った 雨崎海岸の伝説(三浦市)

三浦半島の東のはずれに、観光客などまず来ない雨崎というところがある。 一面が大根畑ばかりの畑が広がる奥に、こんもりと緑生い茂る小山があるが、一見したら何の変哲もない、意識していなければ無意識に通り過ぎてしまうようなところである。 このあたり…

三浦半島で唯一 くじら塚の供養碑(三浦市)

暖冬のうららかな小春日和の中、軽自動車がやっと一台通れるかといったような細い小路を原付で通り抜けていく。 道はどんどんと細くなり、がけの端に張り巡らされた犬走りのような道を抜けていくと、その先には観光客も来ない実に閑静な住宅地が広がり、眼下…

漁師町の片隅に残された 隠れキリシタンの石像か(三浦市)

三浦半島の江奈湾に面した松輪集落は古くから栄えた漁村で、現在でも名物「松輪サバ」は広く知られているが、普段は観光客など滅多に来ないような静かな漁師町であり、その片隅にあるのが松輪地蔵堂である。 地蔵堂とはいっても扁額などは何もなく、一見する…

今も三浦半島を賑わす奉納相撲の先駆者 錦島三太夫の墓(三浦市)

三浦半島の数少ないランドマーク、引橋の交差点と三浦海岸を結んでいる国道134号線の途中に「半次」というバス停がある。 このバス停のすぐ前の交差点の角に、電信柱に隠れるようにしてひっそりと建っている墓石が見えるが、これは江戸時代の力士であり、…

極楽浄土の音色を奏でる 絢爛豪華なる迦陵頻伽の石仏(三浦市)

三浦半島を南北に貫く京浜急行の終端である三崎口駅から原付を5分ほど走らせると、真言宗飯盛山と号する妙音寺がある。 もとは北条氏の祈願所であったが現在は東国花の寺として、また各霊場の札所として登録されており訪れる人も多く、境内には数多くの真新…

奈良時代の豪族の墓 白山神社の切妻造妻入形横穴古墳(三浦市)

三浦半島の東側、ちょうど三崎口駅の右側の海岸沿いは海を見渡す丘の連なる、風光明媚で静かな菊名というところであるが、この中に木々に埋もれるようにしてあるのが鎌倉時代創建とされる菊名の白山神社であり、その主なご祭神は伊邪那岐尊(いざなぎのみこ…

源頼朝が通った 風光明媚な暮景崎(三浦市)

京浜急行三浦海岸駅の駅前の通りを南下し、三浦海岸の交差点から海沿いに南下していく道がある。 この道をずっと進んでいくと、以前紹介した「蛭田の鼻の狙撃用洞窟陣地」が見えてくる。 この「蛭田の鼻の狙撃用洞窟陣地」をぬけて少し行くと、左手の海に突…

数々の伝説を今に伝える 三浦海岸の琴音磯(三浦市)

三浦海岸の南側、十却寺から少し南側に行ったところの砂浜あたりには、小さな磯場が点在するところがあるが、この磯は一見して小さく、まったく無名の磯のように見えて「琴音磯」(ことねいそ)という立派な名を授けられており、今なお綺麗な砂浜の中に見え…

罪人の霊をなぐさめた 諸磯の六地蔵(三浦市)

三浦半島の先端、三崎のあたりから浜諸磯へと下っていく一本道がある。 その坂を下りきったところには諸磯の漁協と浜諸磯のバス停がある明るく開けた所があり、この場所はかつて罪人を取り調べる白州があったところであったとされており、古老たちは今でも白…

綺麗に削り取られた 霊川寺の庚申供養塔(三浦市)

京急線の終点、三崎口駅から西の果てに向かうとそこは三戸の集落である。 相模灘の奥に遠く富士山を仰ぎ見る三戸海岸と、うっそうとした木々の中に細い道が入り組んで残る昔ながらの町並みが広がっており、このような狭い道こそが原付の力の見せ所である。 …

漁民たちをしけから守った 農耕の神 赤辺稲荷(三浦市)

京浜急行の終着駅である三崎口駅から1,5キロほど北西に進んだ海沿いのあたりは古来から矢作(やはぎ)と呼ばれた里であるが、この矢作の里にある円徳寺の脇に、赤辺稲荷と呼ばれている小ぢんまりとした稲荷さまが祀られているのが見て取れる。 今となって…

村人たちを見守った引橋の送り狐(三浦市)

京浜急行三崎口駅から駅前の通りを南下していくと、今でも交差点名に名残を残す引橋というところに出る。 これは、かつてこの地を治めた三浦一族が三浦半島を要塞化していく途上で、谷間に橋をかけておき敵が来たら橋を挽いて渡れなくしてしまったので、今で…

荒行の中 日蓮聖人に思いを馳せた 日範上人の妙法経窟(三浦市)

京浜急行の終点である三崎口駅から西北に行くと、富士山の真下にどこまでも広がる相模灘を眺める雄大な景色が広がる浜があり、これが和田長浜である。 現在は和田長浜は海水浴場として有名であり、県内から多くの家族連れが車を横付けして浮き輪を片手に楽し…

漁師と九尾狐の悲哀を今に伝える きつね浜の伝説(三浦市)

三浦半島の先端に近い浜諸磯というところがある。 夏の海水浴シーズンでも訪れる人は少ない静かなところであるが、この浜諸磯の丘のふもとに磯に囲まれた狭い砂浜があり、地元の人はこれをきつね浜と呼んでおり、漁村に伝わる哀しき哀話を今なお伝える砂浜な…