みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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元の地に還りたいと夢枕に立った 三浦の原稲荷神社(三浦市)

引橋から三崎口へと下っていく県道26号線、通称「横須賀三崎線」の城ヶ島入り口交差点から東へ300メートルのところ、住宅街が途切れて畑となるあたりの小高いところに、原稲荷神社というお稲荷様があります。

 

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この近辺の原区には、4年毎の9月の始めに盛大にお祭りが行われます。

神輿や山車が区内をねりあるき、町の所々では祝詞があげられて獅子舞が踊り、各家を回っては家内安全と共に五穀豊穣や商売繁盛を祈願するものです。

 

みうけんの住む地域では、時代の流れかすっかりお祭りは寂れてお神輿もしまったままになっていますが、そのようなお祭りが残されている事がうらやましく感じます。

ここ原地区で、この盛大なお祭りを担うのが、この原稲荷神社なのです。

 

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鎌倉時代に編纂されたという地域史の「稲荷記」によれば、お稲荷さまとは

 

延暦3年(784)、魏の国より日本国に移りまします時、御在所なくして山城国の管、愛宕の郡に御経廻(ごけいかい)、御躰(おからだ)いねをになはせ給によりて、世俗に稲荷の神と名をつけ、たてまつる

 

と記載されている、と地域史料(タウンニュース)にはありました。

ただ「魏の国」があったのは、日本の古墳時代にまで遡るので少々食い違いがあるそうです。

 

江戸も中期をすぎると、「伊勢屋・稲荷に犬の糞」と江戸っ子がはやしたようにどこに行っても必ずあるのが稲荷社でした。

 

特に日本人の生活には狐が密接に関わっていたこと、稲を栽培する生活が長かったことから違和感なく受け入れられ、どこにでも気軽に祀られたかわりに、その祀り方はまったく自己流とも言えるものが多かったそうです。

 

さて、稲荷神社の祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)という女神様です。

この神様は須佐之男命の子であり、名前の「宇迦」は穀物・食物をあらわし、古くから穀物の神として崇められてきました。

その総本社が京都の伏見稲荷大社なのです。

 

ここ原稲荷神社も、祭神に「宇迦之御魂大神」と「須佐之男命」を祀っています。

境内には親切に書かれた由来板があり、それによればこの神社の創建ははっきりしておらず、江戸時代ともそれ以前ともされているそうです。

ただし、境内に奉納されているキツネの石像には元治元年(1864年)と陰刻があるので、恐らくはそれ以前の事でしょう。

 

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明治時代、国策により海南神社に合祀されて一時期は姿を消した原稲荷神社ですが、それからほどなくして近くの古老の夢枕に稲荷大明神がお立ちになったそうです。

 

稲荷大明神は古老にむかって「原のお社(やしろ)に戻りたい」と切々と訴えられ、他の村人からも同じ夢を見たと申し出るものが下り、大東亜戦争が終わって日本政府が宗教に口を出さなくなってから、昭和27年(1952年)に地域住民の総意で、元々の境内に再建がなされたという事なのです。

 

その後、平成14年(2002年)に社殿を新築して現在に至ります。

 

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本来では祭礼日は9月3日でしたが、時代の流れか9月の第1日曜日に改められて、海南神社宮司による祭詞奏上や、地域住民による囃子や獅子舞の奉納があり、4年毎には大祭もあってたいへんな賑わいを見せるという事です。

 

いま、うっそうとした森林のなかにあり、原の地区を見下ろす高台の中の境内を歩くと、その片隅には「原地主弁財天」が祀られています。

 

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また、その脇には「疱瘡神」も祀られ、疱瘡や皮膚病に悩む多くの人々がお参りしては神々に救いを求めた事でしょうか。

三浦半島には、このような「疱瘡神」が多く残されています。 


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いま、この原稲荷神社の境内を歩き、古く崩れかかったキツネの石像に触れて心を通わせるとき、かつてこの地でこのキツネが眺めてきた原地区の人々の素朴な営みと、豊穣たれと願をかける農民たちの姿、祭礼に受かれる若者たちの姿が目に浮かぶようで、ここにも時の流れの早さというものをしみじみと感じたのです。

 

 

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