みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

歴史と民話とツーリング

歴史と民話とツーリング

流行り病をいやす霊験と 帰りたかった阿弥陀如来のはなし(保土ヶ谷区)

保土ヶ谷区川島町を流れる帷子川にかかる「鷲山橋」を渡って西側につながる急な坂は、昔から「りょうけ坂」と呼ばれています。 この坂は、むかし坂の上と坂の下にあったの二つの家の住人が中心となって、村の発展のために道の整備をしたことにちなんで「両家…

明治期の職人の腕を伝える 樽町本長寺の山門彫刻(横浜市港北区)

鶴見川を渡って綱島の南に行くと、樽町というところに出ます。 現在ではすっかり宅地化もされ、綱島街道には多くの車が行き交う活発な街ですが、かつては一面の田畑が広がると共に、遠くには綱島温泉郷を眺める風光明媚なところであったと聞いています。 そ…

女工の哀話を今に伝える 川崎のおいでおいで松(川崎市)

川崎駅より東側へ1キロほど行くと、広大な敷地に芝生が鮮やかに映える川崎競馬場があります。 この川崎競馬場は、板垣退助を中心とした京浜競馬倶楽部によって、明治39年(1906年)に開設されて競馬が開催されたのが始まりとされています。 さて、こ…

神様がつけた橋の名前 日向の十二神橋(伊勢原市)

伊勢原の駅前から北上し、浄発願寺の奥の院へと至る道を登っていくと、やがて緑が目に眩しい日向の里へと辿り着きます。 この日向の里を流れる日向川は、厚木市の七沢で玉川へと合流し、本厚木の住宅街を抜けてやがて相模川へと合流していきます。 川ですか…

高麗王族の渡来人 高麗王若光をたたえる神社(伊勢原市)

厚木市を流れる玉川を遡り、分流から日向側へと遡っていくと、その川沿いの道は日向薬師の参道となっています。 そのとちゅう、のどかな農村地帯の田畑の中に、石垣の上に築かれた神社を見つける事ができます。 これは現在は日向神社(ひなたじんじゃ)と呼…

2人の美女の悲哀を伝える 小野小町ゆかりの小野神社(厚木市)

厚木市の市街地から、小さな玉川という川を遡って七沢へと向かいます。 とちゅう、左側には大手自動車会社の巨大な工場が見えてきますが、ひるがえって右側は小山の麓と谷間に民家が並び、その前には田畑が広がるといった牧歌的な風景が広がっています。 そ…

先人の苦労と信仰の名残 山王稲荷社と湯花神楽(横浜市瀬谷区)

横浜市瀬谷区を縦断して泉区を通じ、境川へと注ぎ込む和泉川は、どこを切り取ってものどかで牧歌的な風景を見せてくれる、みうけんのお気に入りの川です。 その中でも、瀬谷区の宮沢というところは、古くから開墾されて栄えてきたところです。 ここ山王橋を…

人柱になった山伏を祀った 小野の堰神社(厚木市)

厚木市西部に流れる玉川は周囲の田畑をうるおし、今なおゆるやかな流れをたたえています。 近くはだいぶ宅地開発がなされ、自動車メーカーの広大な開発工場なども整備されて発展も著しいところですが、玉川の周辺は田畑も多く、どこか牧歌的な光景を今に伝え…

戦後市民の念願を今に伝える 戦没者の忠霊塔(富士吉田市)

山梨県は富士吉田市にやってきました。 富士吉田市は個人的に好きな街ですが、富士急行の下吉田駅の裏手に新倉富士浅間神社という立派な神社があります。 この神社の歴史は実に古く、公式サイト( https://www.arakurafujisengen.com/ )によれば、飛鳥時代…

桃を持ってはいつくばる猿 里墓の地の不思議な庚申塔(横浜市港南区)

日本全国に残された石仏の中で、庚申塔というものがあります。 この庚申信仰は当ブログでも過去にたびたび取り上げていますが、人間の体内に住むと信じられていた「三尸(さんし)の虫」が干支の「庚申」(かのえさる)の日の晩、人間の体から抜け出しては人…

謀略と戦いの思い出 縁切り橋の悲話(厚木市)

厚木の中心地より日向薬師へと向かって、玉川の流れを遡上していきます。 とちゅうのどかな田園風景が心を和ませてくれ、スロットルを握る手も軽やかになる心地よいところです。 このあたりは鎌倉時代、 愛甲氏が治めていたところであったといわれています。…

雨乞いの守護神 深山幽谷の大釜弁財天(厚木市)

厚木の名所、七沢温泉郷をぬけ、山奥に向かって原付を走らせていました。 この辺りまでくれば人家もなく、周囲は鬱蒼とした木々に囲まれて昼なお暗く、道路はところどころ濡れてまさに深山幽谷といった趣です。 これで、ヤマビルさえいなければ丹沢大山はも…

善光寺谷の奥に埋められた 阿久和善光寺の阿弥陀さま(横浜市瀬谷区)

横浜市瀬谷区の阿久和町、「湘南泉病院入口」 の交差点から西へ続く上り坂があり、その坂の左右は現在は阿久和大久保原公園となっています。 このあたりは、昔は善光寺谷と呼ばれていて、古くは深い谷間の奥にお寺があったところとされています。 この善光寺…

横浜市南部の住宅街に突如あらわれる 韓国様式の鐘楼(横浜市港南区)

横浜市南部に位置する港南区は、古くから開かれた一面の住宅地と、その住宅地を抱えるような円海山の山塊が特徴的な横浜市のベッドタウンです。 その住宅街の中で原付を走らせていたところ、何やら導かれるようにして坂を上り、行き止まりの先にお寺があるの…

飢饉の思い出を今に伝える 春日神社の梵字供養塔(横浜市港南区)

横浜市から横須賀市へと繋がる横浜横須賀道路、通称「ヨコヨコ」の日野インターチェンジすぐわきにあるのが日野の里の総鎮守として崇敬を集める、春日神社です。 この春日神社は地元では「春日さま」とも呼ばれて親しまれ、御祭神は天児屋根命(あめのこやね…

400年にわたり人々を見守った 市内最古のいぼとり地蔵(横浜市栄区)

JR根岸線の本郷台駅から住宅街の中を北東にいくと、小山台の家並みの中に小菅ヶ谷学園・小菅ヶ谷幼稚園が見えてきて、園児たちの楽しそうな歌声が聞こえてきます。 その道すじのT字路のかたわらに、立派な地蔵祠に入れられたお地蔵さまを見つけました。 …

剛勇の武将を祭神にまつった 佐原の御霊神社(横須賀市)

横浜横須賀道路、通称「横横」 の佐原インターチェンジを降りてすぐのところ、鬱蒼と茂る木立の上に伸びる階段があります。 この上の神社が、佐原御霊神社と呼ばれる神社です。 神奈川県の中でも、旧鎌倉郡に属する地区にいくつかある御霊神社の御祭神はほと…

巨木に住んだ大蛇 村富神社の白蛇伝説(相模原市)

JR線矢部駅から見て西側は、かつて上矢部新田と呼ばれた開拓地です。 この開拓地の鎮守が現在の村富稲荷であり、寛文年間(1661年〜1672年)に相模屋助右衛門が新田開発を祈願するために稲荷神社として勧請したのが始まりとされています。 さて、…

海で輝いた聖徳太子像の不思議 佐原の太子堂(横須賀市)

横浜横須賀道路の佐原料金所と横須賀スタジアムに挟まれた住宅街の中に、日蓮宗寺院である太子山 聖徳院があります。 このお寺は「佐原の太子堂」とも呼ばれて親しまれ、鎌倉の身延山本覚寺の末寺として人々の信仰を集めています。 もともとは久比里の宗円寺…

瀬谷の里に今も伝わる 土から生まれた勢至菩薩さま(横浜市瀬谷区)

泉区を南北に縦断し、瀬谷区へとつながる環状4号線を北上しました。 とちゅう、相澤川へかかる下瀬谷橋の手前に石仏が並んだ一角があり、その脇の階段を上がっていくと見事な藤棚の奥に赤い屋根を見せる全通院 勢至堂(ぜんつういん せいしどう)があります…

夫婦愛と子孫繁栄を願った 般若寺のはらみ道祖神(横浜市港南区)

横浜市港南区を走る環状2号線、「環2般若寺」の交差点を脇道にそれると、一般の住宅のようなこぢんまりしたお寺が見えてきます。 このお寺は高野山真言宗寺院の無量山般若寺という古刹で、その創建は古く文亀3年(1503年)にまで遡ります。 この般若…

武将と姥の悲しき伝説 日月社と姥子社(横浜市戸塚区)

戸塚区の不動坂交差点から北西に伸びる瀬谷柏尾線、県道401号を北に進んでいくと、上矢部小学校入口の交差点にさしかかります。 この交差点を左に折れた住宅街の中、一段高くなったところに日月社と姥子社と呼ばれている祠が隣り合って、仲良く建っている…

住処を埋められた 悲運の池の大白蛇(横浜市都筑区)

川崎市宮前区との境にほど近い、都筑区東山田を原付で走りました。 住宅街に囲まれた、静かな山すその里に立派な山門を構えるのが、天台宗寺院である諏訪山 観音寺であり、安然上人によって平安時代前期の貞観年間(624年~649年)に開基されたという…

大きな池を二分した 二つ池の龍の伝説【後編:駒岡村のはなし】(横浜市鶴見区)

横浜市鶴見区に、桜の名所として有名な「三ツ池公園」があります。 そのほど近くに、慶長年間(1596年〜1615年)に地域の名主であった横溝家によって整備された農業用ため池の「二ツ池」があります。 この「二つ池」には、獅子ヶ谷村と駒岡村にそれ…

大きな池を二分した 二つ池の龍の伝説【前編:獅子ケ谷村のはなし】(横浜市鶴見区)

横浜市鶴見区に、桜の名所として有名な「三ツ池公園」があります。 そのほど近くに、慶長年間(1596年〜1615年)に地域の名主であった横溝家によって整備された農業用ため池の「二ツ池」があります。 現在は住宅街として発展した鶴見区ですが、かつ…

手ぬぐいをかぶって踊った 踊場の猫の伝承(横浜市泉区)

横浜市営地下鉄、踊場駅2番出口の脇には、一基の古い石塔が残されています。 立派な屋根が与えられ、いつも花の絶えないこの石塔は「踊場の寒念仏供養塔」と呼ばれています。 その正面には、確かに「南無阿弥陀仏」「寒念仏供養」と大書きされています。 寒…

三浦一族と源家のつながりを今に伝える 平作川の五郎橋(横須賀市)

JR横須賀線の衣笠駅と久里浜駅のあいだは、線路の下を縫うようにして平作川が流れています。 ここ平作川にかかる五郎橋は、今となっては立派な鉄筋コンクリートの橋となっていますが、かつては木で造られた橋で、一般に「寺ノ下橋」と呼ばれていました。 …

大蛇退治に一役かった 淵野辺山王の日枝神社(相模原市)

絹の道とも呼ばれたJR横浜線の線路にそって、蛇行していく境川をどんどんのぼっていきました。 すると、やがて淵野辺本町の宮前橋にさしかかります。 その宮前橋の西側にあるのが、淵野辺山王の日枝神社です。 伝承では徳治2年(1307年)の創建とされ…

燈明堂の処刑場にのこる 妖気せまる首切場跡(横須賀市)

横須賀の歴史を秘めた浦賀湾の出口に、かつて住友重機工場の川間製作所だった広い敷地があり、その脇には今なお明治31年(1898年)に営業を開始した川間ドックが残されています。 その旧敷地の脇に伸びる細い道を海に向かって進んでいくと、東京湾に突…

実際の里人が地蔵となった 華蔵院と仏法僧の話(相模原市)

JR横浜線は相原駅の西側1.5キロほどのところ、蛇のようにまがりくねる境川のほとりにある森下というところにある真言宗智山派の寺院で、児松山 華蔵院という高尾山薬王院の末寺を訪ねました。 開山は応仁2年(1468年)秀慶上人により、御本尊さま…