みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

歴史と民話とツーリング

歴史と民話とツーリング

静かにおわし人々を見守る 栗原の化粧地蔵尊(座間市)

原付を快調に走らせ、秋の涼しい風を楽しみながらツーリングをしている時、ふとコンビニの横に立派なお地蔵様が祀られているのを見かけました。 こういう時、気付いていても何の気無しに通り過ぎる事もあれば、どうも気になって引き返すこともあります。 今…

武士を捨て帰農した先祖をたたえる 中新田の六刀碑(海老名市)

海老名市の中新田のあたり、県立中央農業高校の近くに「川寿稲荷神社」という神社があります。 ここは昔からの農村地帯で、30年ほど昔は一面の田畑の合間合間に家が建つような所だったと記憶していますが、最近になって徐々に住宅地へと姿をかえていってい…

結核の夫を完治させた 稲荷がくれたアリの卵(海老名市)

海老名市の農業高校のあるあたりを中新田といいます。 今でも田んぼが広がり、時おり牛の声が聞こえてくるようなのどかなところです。 実はみうけんはここの農業高校の出身ですが、その時に聞いたお話を思い出して、中新田にある「川寿稲荷」を尋ねました。 …

上飯田の人々の信仰を今に伝える 鎌倉みちと小曲寺跡(横浜市泉区)

田園風景をにわかに残す横浜市泉区の上飯田地区は、昭和に入ってからは団地の街としても発展し、多くの外国人移民を受け入れてきた歴史も持っている街です。 その上飯田団地の16号棟と上飯田の神明神社の前を通り、上飯田公園から飯田神社へと通じていく道…

今も里人たちの生活を見守る 磯子観音参詣記(横浜市磯子区)

自宅近くの旧道に面したところに、磯子観音の愛称で親しまれたお寺があります。正式には海向山 金蔵院 岩松寺という高野山真言宗のお寺です。近くにあって気にはなっていながら、今までなかなか訪れずにいたお寺です。 このお寺は御本尊さまとして一木造りの…

観音霊場巡巡礼者の手を引く かめくり観音の伝説(三浦市)

三崎口駅前から駅前の三崎通りを南下し、三戸入口の交差点から御用邸道路へ入っていきます。 大きく弧を描いて走る御用邸道路を抜けたところにあるのが、浄土宗寺院で阿弥陀如来さまをご本尊にいただく、龍徳山 庄司院 光照寺です。 このお寺は鎌倉にある浄…

我が身を削って悪事を止めた 良忠寺の矢止め地蔵尊(横浜市鶴見区)

鶴見区の矢向という町、矢向小学校のところに、住宅街の中に埋もれるようにしてひっそりとたたずむ静かなお寺があります。 浄土宗寺院である記主山 然阿院 良忠寺です。 このお寺の歴史は古く、寺伝はもちろんのこと、江戸時代後期に編纂された一大歴史資料…

鶴見川に流れ着いた薬師像のご縁 鶴見の良忠寺(横浜市鶴見区)

鶴見区の矢向という町、矢向小学校のところに、住宅街の中に埋もれるようにしてひっそりとたたずむ静かなお寺があります。 浄土宗寺院である記主山 然阿院 良忠寺です。 このお寺の歴史は古く、寺伝はもちろんのこと、江戸時代後期に編纂された一大歴史資料…

瀬谷の里で親しまれる 妙光寺と梵鐘の由来(その3)(横浜市瀬谷区)(横浜市緑区・瀬谷区)

さて、前回は万年禅寺の釣鐘と半鐘がどのようにして妙光寺へと引き取られて行ったか、という民話を紹介しました。 そちらについて、くわしくは前回の記事を見ていただくとして。 www.miuken.net 今回は、万年禅寺と妙光寺に伝わるお話を、もう一つ紹介したい…

瀬谷の里で親しまれる 妙光寺と梵鐘の由来(その2)(瀬谷区)

相鉄線の瀬谷駅から北側、どこまでも続く海軍道路を北上して行った西側にあるのが、日蓮宗寺院である蓮昌山 妙光寺です。 このお寺の歴史は古く、飛鳥時代の白雉3年(652年)にさかのぼり、一人の尼僧が石となったものをお祀りしたのが始まりである事は…

瀬谷の里で親しまれる 妙光寺と梵鐘の由来(その1)(瀬谷区)

相鉄線瀬谷駅の前の通りをずっと北上していくと、どこまでも続くまっすぐな直線道路につながります。 この道は海軍道路といって、この周辺にはかつて旧日本軍関係の施設が密集し、この道路も滑走路としての使用も視野に入れて作られたものだったそうです。 …

縁結びと安産の神様 芦名の淡島さま(横須賀市)

横須賀市の芦名漁港を見下ろす風光明媚な海岸の崖のうえ、砂だまりの道を山にそって登って行ったところ、扁額すらない簡素な鳥居の奥に、朱に塗られた無人のお社が見えてきます。 普段は誰もいない小さな神社ですが、この神社こそが縁結びと子宝に御利益があ…

数え切れぬ願いを込めた 路傍の石仏塔群(寒川町)

JR相模線の宮山駅前の通りは交通量も多い道ですが、ずっと南下していくと、やがて目久尻川にかかる橋を渡ることとなります。 この橋は寒川大橋といって、電車で寒川神社にお参りする方は大体の方がこの橋を通るので、この橋に覚えのある方もいらっしゃるで…

今も農村に語りつがれる ごまんどうの狐行者の伝説(海老名市)

発展の著しい海老名の街ですが、海老名駅の喧騒から離れると、そこには昔と変わらない農村風景が広がっています。 以前、日蓮上人の不思議な法力が伝わると紹介した、海老名市大谷の「ごまんどう」というところです。 日蓮上人の逸話は前回の記事を読んでい…

日蓮上人が蓮を咲かせた ごまんどうの伝説(海老名市)

30年の昔に比べると、海老名市の発展の著しさは目を見張るばかりです。 駅前の田畑はすっかり開発され、町田や本厚木にならぶ都市化の波をすすむ海老名駅前から消防署の前を通り、中央農業高校へとむかっていく中新田境のあたりは、かつて「ごまんどう」と…

松浦豊先生のあしあと 三戸のお精霊流し(三浦市)

みうけんが尊敬する三浦半島の歴史研究家に、松浦豊先生という方がいらっしゃいます。 いや、もう「いらっしゃいました」と過去形にするのが正しいのでしょう。 ずいぶん前に鬼籍に入られて「たしか三崎のどこかのお寺にお墓があると思います」(光照寺ご住…

遠い昔の哀しき思い出 瀬谷の牢場坂(瀬谷区)

横浜の瀬谷区を南北に縦断する海軍道路から西側へそれ、上瀬谷小学校をすぎてしばらくいくと、急な下り坂に差し掛かります。 一見するとどこにでもあるような、なんの変哲もない坂道ですが、この道は地元の間では「牢場坂」と呼ばれています。 この牢場坂は…

無実の罪での逃避行 伝源範頼の墓(横浜市金沢区)

横浜市金沢区というところは、地理的には鎌倉に近く、東海道の脇往還から三浦半島の三崎や浦賀に通じる道として、また漁港や廻船の港町としても発展してきました。 そのために歴史的な見どころも多く、また神社仏閣もたくさん残されています。 今となっては…

急な坂が病人を助けた 東光寺の与兵衛坂(町田市)

恩田川をずっとさかのぼって町田市へと入っていくと、その左手には町田市成瀬クリーンセンターの広い敷地が見えてきます。 その南側、住宅と畑地の間を縫うようにして登っていく、きつい坂があります。 「与兵衛坂」です。 その入り口には、きちんとした標柱…

貧しい少女に慈悲を施した 金沢区のへそ薬師(横浜市金沢区)

横浜市金沢区というところは、地理的には鎌倉に近く、東海道の脇往還から三浦半島の三崎や浦賀に通じる道として、また漁港や廻船の港町としても発展してきました。 そのために歴史的な見どころも多く、また神社仏閣もたくさん残されています。 今となっては…

現世に生きる虚しさを説いた 三浦道寸公父子の辞世の句【三浦荒次郎義意公編】(三浦市)

前回では、三浦氏最後の領主といわれる三浦道寸義同公の辞世の句を紹介しました。 www.miuken.net では、その息子とされる三浦荒次郎義意公はどうでしょう。 三浦荒次郎義意公は「英雄百首」に三浦道寸義同公と並んで紹介されています。 三浦道寸義同公の子…

現世に生きる虚しさを説いた 三浦道寸公父子の辞世の句【三浦道寸義同公編】(三浦市)

原付のエンジンをふかし、ただひたすらに三浦半島を南下して三崎口駅前を通過していきます。 とちゅう、引橋をすぎたところで右にそれていく道をすすんでどこまでもいくと、最終的に京急油壷マリンパークがあるところに出ます。 もう、このブログの読者の皆…

悲運の死を遂げた 松田左衛門尉頼秀墓(相模原市)

神奈川県の津久井から道志川に沿って上っていき、やがて山梨県へと入って山中湖へと至る、明るく開けた国道があります。 国道413号線と呼ばれるこの道は、遠くに丹沢山塊の山並みを望み、ところどころ森と畑が織りなす牧歌的な光景を楽しむのにうってつけ…

千葉から飛んできた巨石 安房口明神の御神体(横須賀市)

京浜急行の馬堀海岸駅と北久里浜駅に挟まれた大規模なニュータウンがあります。 そのうち、吉井というところの山側に立派な鳥居を見つける事が出来ます。 この神社こそが、ここ吉井の総鎮守である「安房口神社」、通称「安房口明神」です。 鳥居の奥の参道は…

村を潤した大蛇伝説 霧ヶ池のぬし(横浜市緑区)

JR横浜線の十日市場駅の駅前通りを南下していきます。 とちゅう、霧が丘二丁目の交差点を左に折れてしばらく行ったところに、小さな児童公園があります。 これを、「霧が池公園」と呼んでいます。 ちなみに、近くには「霧が丘公園」もありますから、間違え…

時代の流れと人々の流れを見守った 千代之松跡と石碑たち(小田原市)

小田原市の東の端、眼前に相模灘と小田原の街を眺める沼代という所の高台に登ってみました。 このあたりは原付であれば難なく坂を上ることができ、一面に広がる広い空の下に広がる風光明媚な景色はなかなか見ごたえのあるところです。 ここには沼代地蔵堂と…

平和な油壺に悲哀を伝える ヨット事故の碑と特攻隊基地(三浦市)

三浦道寸義同公と三浦荒次郎義意公率いる三浦一族が北条一族に攻め落とされた悲運の地、油壺を訪れました。 義士塚やなもた坂のあるところから油壺のマリンパークへとまっすぐ進む油壺線という道をそれて南側へ行くと、油壺の半島の付け根の所に油壺公園とい…

養蚕祈願とけんちん汁の思い出 相模大野の蚕守稲荷神社(相模原市)

発展もいちじるしい相模大野駅前、国道16号線に面したビルの隙間に埋もれるようにして鎮座されているのが、相模大野の「谷口山野稲荷神社」で、地元の方々からは「蚕守稲荷神社」(かいこもりいなりじんじゃ)と呼ばれています。 この神社の創建は嘉永7年…

海上安全の守護と供養を願った 高浜台のお阿弥陀さま(平塚市)

平塚市の相模川の河口に近いところ、眼前に海が望めようかという高浜台のあたり、駐車場の片隅にひっそりと石仏が並んでいる一画があります。 その中でもひときわ目立つのが、見上げるような石の台座の上にお座りになっている阿弥陀如来の坐像で、地元では「…

一羽の鴨が浪人を導いた 矢切の峯の伝説(横須賀市)

横須賀の久里浜駅のあたりから山あいの方へと進んでいくと、谷戸の谷底に張り付くようにして民家が並ぶ奥に、ひっそりとあるのが日蓮宗寺院である栄久山 等覚寺です。 このお寺は戦国時代の天正12年(1584年)6月28日、日大上人によって開山されま…