眼下に波濤雄渾なる相模灘をひかえ、遠くに秀麗富士をあおぐ葉山町森戸の海岸沿いに古くから信仰を集めている、森戸大明神。
この神社は、あの鎌倉幕府の創設者ともされている源頼朝ゆかりの神社として崇敬を集め、今では葉山の総鎮守とまでいわれています。
この日は平日に訪れましたが、それにも関わらず境内には人が集まって祈りを捧げている姿が目につきました。
神奈川県内の神社のなかで、この森戸神社はものすごく有名というわけでもないとは思いますが、それでもこうして車やバス、あるいは徒歩で多くの人々が訪れ、なかなかの信仰を集めているようです。
さて、前回は葉山の森戸大明神に残されている名木「飛ビャクシン」と「千貫松」の紹介をしました。
今回紹介するのは、境内社である小さな「水天宮」の祠です。
ここに古くから残る石碑には
まいられよ
子宝の福
さづかりに
という川柳が陰刻されています。
この川柳がいつごろ詠まれ、いつごろここに刻まれたものかはわかりませんが、案内看板には「古くから子宝を求める人等の篤い信仰を受けている。」とあります。
この祠の両脇にはひと抱えもあるような子産石、通称「子宝の石」がうやうやしく飾られています。
また、その周囲には真ん丸の可愛い子産石が奉納されているのが目につきます。
子産石とは、おもに三浦半島西部に産出する球状の奇岩で、磯の岩が波に現れ削られていくとその中から愛くるしい球形の石が出てくることがあり、この石を持ち帰って大切に祀ると子宝に恵まれるという土着の信仰が今なお残されています。
また、このような子産石はしばしば祠に奉納され、その子産石を手でなでることによっても、その御神徳をいただくことができるということです。
この子産石のわきには、子供たちの名前や生年月日の書かれた小石がたくさん奉納されていました。
時代は平成から令和へと変わって、あたかも科学万能、人々の信仰心というものはすっかり失われてしまった感もありますが、ここには確かに子宝を願う親たちの願いが込められた石が数えきれないほど奉納され、その信仰心の健在さを物語っています。
この子産石は横須賀市秋谷の路傍に、ひときわ大きなものが飾られており、その近くには苦しむ民衆のために我が身を捨てて救わんと即身成仏を果たした伝説の老尼僧、智回尼さまの生まれ変わりとされている異形の子産石が祀られていることは、過去にも紹介した通りです。
いま、初夏の気持ちよい風を浴びながら、のどかにヨットが行きかう森戸海岸を眺めるとき、昔も今も変わらぬ信仰心で一心に祈りを捧げる若き女性たちの姿をこの日も見て、彼女らに幸多く、健やかでかわいい赤ちゃんが生まれますようにと、心の中でそっと手をあわせたのです。
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