神奈川県の海に沿って走る国道1号線は旧東海道であるが、その1号線から川匂神社入り口の交差点を入って山側に進んでいくと、道路が右側に急カーブをした奥にあるのが真言宗の無量山・雨宝院の西光寺である。
この寺は小田原市国府津にある宝金剛寺の末寺で、本尊は不動明王である。
この西光寺の本堂にお参りしてから本堂左側の小道に入っていくと、左手には不動明王が滝に打たれている池があり、さらにその先には三寶洞という小さな隧道に入っていく道となる。三寶(三宝)というのは仏教において護持し信仰を捧げるべきもの、すなわち「仏・法・僧」であり、それだけで実にありがたい名前の洞窟なのであろう。
この洞窟に入って少し行ったところに、脇道となる穿ちがあり、その中に奉納された夥しい数の小さな地蔵菩薩が並んでおり、これらは西光寺の百体地蔵と呼ばれている。
かつて、仏教の世界観では親よりも先に死ぬということは最大の不孝とされていた。
しかし、病や不慮の事故によって望まずして亡くなった子供たちも多かったわけで、そうした子供たちは生前になしえなかった徳を積むために賽の河原で石を積み続け、鬼に壊されてはまた積み続ける、という果てしない修行をすると言い伝えられてきた。
この終わりの見えない苦行の中から、苦しむ子供たちをあまねく救い、極楽浄土へ導くのが地蔵菩薩であるとして篤く信仰され、そのため江戸時代から残る墓地などに行くと、今なお地蔵菩薩を彫り込まれた幼児の墓石が多く残されているのを見る事ができるのである。
おそらく、これらも生半ばというにもあまりにも早い、この世に生まれずして、または生まれてすぐに何らかの事情によってこの世を去らざるを得なかった哀れな子供たちを供養する水子地蔵たちなのであろう。
中には花に合わせて「きかんしゃトーマス」や「ドラえもん」が奉納されている地蔵尊も見ることができた。小さな鯉のぼりが供えられていることから、恐らくは男の子だったのだろう。
この子の親の、我が子に対する愛情と、このような形でしか玩具を与えることが出来ない事への無念さが、痛いように伝わってくるのである。
いま、この狭く薄暗い洞窟で、愛すべき、愛されるべき親のもとを離れてひとり孤独と戦いながら賽の河原で小石を積み続ける子供達の姿を思う時、慈悲深き地蔵菩薩の導きによって、少しでも早く極楽浄土へと召される事を願ってやまないのである。