みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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②歴史と民話とツーリング-相模原市

巨木に住んだ大蛇 村富神社の白蛇伝説(相模原市)

JR線矢部駅から見て西側は、かつて上矢部新田と呼ばれた開拓地です。 この開拓地の鎮守が現在の村富稲荷であり、寛文年間(1661年〜1672年)に相模屋助右衛門が新田開発を祈願するために稲荷神社として勧請したのが始まりとされています。 さて、…

大蛇退治に一役かった 淵野辺山王の日枝神社(相模原市)

絹の道とも呼ばれたJR横浜線の線路にそって、蛇行していく境川をどんどんのぼっていきました。 すると、やがて淵野辺本町の宮前橋にさしかかります。 その宮前橋の西側にあるのが、淵野辺山王の日枝神社です。 伝承では徳治2年(1307年)の創建とされ…

実際の里人が地蔵となった 華蔵院と仏法僧の話(相模原市)

JR横浜線は相原駅の西側1.5キロほどのところ、蛇のようにまがりくねる境川のほとりにある森下というところにある真言宗智山派の寺院で、児松山 華蔵院という高尾山薬王院の末寺を訪ねました。 開山は応仁2年(1468年)秀慶上人により、御本尊さま…

由来が気になる安産の神様 音久和(おんぐわ)の観音堂(相模原市)

小春日和の気持ち良い天気の日、横浜からひたすらに原付を飛ばして道志川のほうまでやってきました。 ここまで来るとコンクリートに囲まれた日常を忘れ、どこまでも続く緑のさんざめくようなにぎわい、そこかしこから聞こえてくる小鳥たちの呼び合う声にうき…

「おひめばたけ」の地名に残る 旅の姫君の哀話(相模原市)

相模原の街を原付で駆け抜けていくと、どうしても突き当たる壁があります。 JR横浜線の線路と、米軍の相模総合補給廠です。 このどちらもが、一度突き当たってしまうと乗り越えるためにはかなりの距離を迂回しなければならないので、かなり厄介な存在です…

養蚕の守り神 皇武神社のおきぬ様(相模原市)

JR横浜線、古淵駅と矢部駅の中間のあたりに青山学院大学のキャンパスがあります。 その裏手の住宅街の中にある神社が、「おきぬ様信仰の発祥の地」とされる淵野辺の皇武神社で、御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)です。 この神社の創建については…

大飢饉の後年に里人の願いを託された 上矢部の子育て地蔵(相模原市)

死後の世界の六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)で迷える亡者の手を引き、極楽浄土へ案内するとして信仰されてきた地蔵菩薩。 その霊験によって今なお交通事故の現場などに建立される事が多いばかりか、子供が大好きな菩薩さまと知られ、…

行方知れずの我が子を探した 新田稲荷の呼ばわり山(相模原市)

JR横浜線、淵野辺駅から線路に沿って町田方面へ行くと、線路沿いの鬱蒼とした森の中に神社が見えてきます。 これが淵野辺の新田稲荷神社で、新田と書いて「しんでん」と読みます。 この神社はもともと淵野辺新田の鎮守であり、春になると境内には桜が満開…

国の発展を信じ 山中に殉職した自衛隊員の碑(相模原市)

相模原市の藤野津久井線という道は、相模原市の牧野の里から青野原に至る道です。 一部は幅員が2メートルしかない区間もあるものの、比較的道幅が広い区間も多く、その風光明媚な山並みを縫うようにして行程は原付で走っていてもとても楽しい道です。 途中…

6キロを隔てた水もらいの神事 水源地の有鹿さま(相模原市・海老名市)

相模原市南区、新磯小学校入り口の交差点に立つ大きな青面金剛の石碑を見ながら、交差点の道を東に進むと、突き当りまでの坂は「ねこ坂」と呼ばれています。 なんでも、この坂はむかし猫が化けて踊っていたとかで、嫁入りや兵隊の送り迎えの行列は避けて通っ…

かつての寺院の痕跡か 路傍で見た美しき観音像(相模原市)

本厚木から愛川を経て相模湖に至る幹線道路、国道412号線をずっとずっと北上して行きます。 とちゅう、長竹カントリークラブを過ぎ、串川を渡って串川駐在所のあたりまでくると、左手の路傍にたくさんの石仏が集められているのが見えて、急遽原付を引き返…

池がなくとも人々の生活を見守る 大沼の弁天さま(相模原市)

相模原の古淵駅の南側、東大沼2丁目というところにやって来ました。 ここの大沼神社とテニスクラブを起点として、街を丸く囲む道路が残されています。 これは、かつてここに大きな溜め池があったことを物語っています。 iPhoneのアプリ「古地図散歩」によっ…

幼き子の菩提を願う 石憧の輪廻塔(相模原市)

厚木市の中心部から愛川、宮ケ瀬を抜け、道志川にそって進み、やがて津久井へと至る国道412号線という道があります。 厚木から愛川へと抜けていく、とても重要な道であるとともに、みうけんの原付ツーリングではよく利用している道でもあります。 その4…

相模原にも残る おしゃもじ様の民間信仰(相模原市)

特に関東で発達した民間信仰の中に、「おしゃもじ様」というものがあります。 正式にはミシャグジ信仰といって、ちょっと聞きなれないものですが、長野県の諏訪地方を中心に関東に広がったといわれる精霊を祀る民間信仰です。 これは日本古来の神道ともまた…

悲運の死を遂げた 松田左衛門尉頼秀墓(相模原市)

神奈川県の津久井から道志川に沿って上っていき、やがて山梨県へと入って山中湖へと至る、明るく開けた国道があります。 国道413号線と呼ばれるこの道は、遠くに丹沢山塊の山並みを望み、ところどころ森と畑が織りなす牧歌的な光景を楽しむのにうってつけ…

養蚕祈願とけんちん汁の思い出 相模大野の蚕守稲荷神社(相模原市)

発展もいちじるしい相模大野駅前、国道16号線に面したビルの隙間に埋もれるようにして鎮座されているのが、相模大野の「谷口山野稲荷神社」で、地元の方々からは「蚕守稲荷神社」(かいこもりいなりじんじゃ)と呼ばれています。 この神社の創建は嘉永7年…

僧と娘の悲恋の物語 池の谷戸の哀話(相模原市)

JR線の町田駅を降り、南口へ出ます。 すぐに境川の流れがあり、川を渡って相模原市に出れば、現在はラブホテル街となっている、かつて「田んぼ」と呼ばれたところに出ます。 この近く、境川べりに武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を祭神にいただく鹿島神…

女巡礼が我が子を託した 梅宗寺観音堂の由来(相模原市)

相模原市の上九沢地区、鳩川が静かに流れるそのほとりに佇んでいるのが、曹洞宗寺院である巨福山 梅宗寺(こぶくさん ばいそうじ)です。 このお寺の歴史は古く、開山は戦国時代末期の慶長2年(1597年)までさかのぼります。 この梅宗寺の本堂に向かっ…

相模湖畔に優美な彫刻を見せる 霊験あらたかなる與瀬神社(相模原市)

先日、相模湖畔に残された「御供岩」の話を紹介しました。 www.miuken.net その際に、近くにある「與瀬神社」に行きました。 この與瀬神社は「よせじんじゃ」と読みますが、地元では「与瀬蔵王権現」「与瀬のごんげんさま」と呼ばれ、また単に「ごんげんさま…

神奈川県民と産業を支えた 相模湖のダム殉職碑(相模原市)

人が生きていくうえで、ありとあらゆる生物が生きていく上で欠かせないもののうちの一つに、水があります。 それは神奈川県に住む905万人にとっても例外ではないのですが、その県民の暮らしを支える「水がめ」のひとつに、相模ダムによって作られた人造湖…

万民のために命を捨てた 義士「土平治」の生家あと(相模原市)

相模湖の東側にある相模湖プレジャーフォレストの正門前の交差点を南にいきますと、すぐに八幡神社の鳥居の前から西側へとカーブして奥牧野相模湖線という山奥の道路に入っていきます。 相模湖プレジャーフォレストの正門前の交差点から5キロ少々進んでいく…

時代の波に消えゆく 四軒村と椿稲荷の伝説(相模原市)

JR淵野辺駅から北側に1.3キロほど行ったところに、「相模つばさ幼稚園」という幼稚園があります。 いつもは幼児たちの楽しそうに遊ぶ声や、声を合わせて歌う声が聞こえてとてもにぎやかなところですが、この幼稚園の向かいには、木々に囲まれた立派なお…

小山田氏の悲話シリーズ(3)自害をとげた折花姫の哀話(相模原市)

戦国の武将、小山田氏のについてのお話もいよいよ最終話となりました。 今回はジィジ宮から2キロほど離れたところにある、 折花神社という神社です。 この神社は蛇のように複雑に蛇行する道志川の、迫り出すようにした川岸の上にひっそりと建っている無人の…

小山田氏の悲話シリーズ(2)ジジイ宮とバァバァ宮(相模原市)

ちょっと前置きが長くなりますが、今回のお話と深くかかわっているので、よろしかったらお読みください。 むかし昔のお話です。 現在でいう町田市小山田の「小山田荘」というところで、秩父氏の傍流である小山田氏という一族が興りました。 その祖である小山…

小山田氏の悲話シリーズ(1)小山田八佐衛門行村の墓標(相模原市)

もうすっかり秋となり、山々では木々が黄色に紅色に色づき始め、野山ではリスや鳥たちが忙しく冬支度をする季節に、津久井湖のほとりから道志川に沿って山あいを縫うようにして進み、やがてう山中湖へと続く国道413号線を西に向かって進みました。 やがて…

巨人の残した土か 相原のめいめい塚(相模原市)

JRと京王線の橋本駅の西側、橋本郵便局前のバス通りを西に進み、「相原薬局」の角を右に折れて住宅街の中に入っていきます。 すると、すぐに住宅街の中にフェンスに囲まれた一角があり、その中に松の木が植えられているのを見ることが出来ます。 この時に…

水中より出現した御神体の伝説 相模湖畔の御供岩(相模原市)

神奈川県の北西部には、県民の水がめとなる人造湖がいくつもあります。 いつも満々と水をたたえて県民の豊かな生活を支え、またレジャーの場所として、景勝地としても神奈川県民からは大いに親しまれています。 そのうちの一つが「相模湖」で、昭和22年(…

三増峠合戦の悲哀を伝える 首洗い池と浅間神社、そして馬塚(相模原市)

神奈川県の北西部、相模湖と津久井湖を結ぶ相模川のほとりは山深いところです。 その光景は、山々の合間に新しい家と古い家が混在した神奈川県に多く見られる新旧折り重なった光景でもあります。 そのような街を通る主要な道路のひとつに国道412号線があ…

月を信仰した女たちの思い出 蓬莱橋の二十三夜塔(相模原市)

境川の上を京王相模原線がまたぐところから、眺めの良いサイクリングロードを約500メートルほどさかのぼった所にかかるのが「蓬莱橋」です。 蓬萊(ほうらい)とは古代中国における神仙思想の中で、東の海上(または海中)にあるとされる、仙人が住むとい…

鳩川のほとりに住んだという 小豆とぎ婆の伝説(相模原市)

かつて「さがみっぱら」と揶揄された相模原市も現在では発展著しく、かつての原野や田んぼはすっかり開発され、里山は切り崩されて住宅街へと変貌を遂げています。 その相模原市の中を流れる鳩川の辺りは、川にそってうっそうとした森の中に沼が点在するよう…

 

 

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