みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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実際の里人が地蔵となった 華蔵院と仏法僧の話(相模原市)

JR横浜線相原駅の西側1.5キロほどのところ、蛇のようにまがりくねる境川のほとりにある森下というところにある真言宗智山派の寺院で、児松山 華蔵院という高尾山薬王院の末寺を訪ねました。

 

開山は応仁2年(1468年)秀慶上人により、御本尊さまに阿弥陀三尊さま、ほかに不動明王薬師如来地蔵菩薩弘法大師などなどを祀っているお寺です。

 

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今となっては境内の木々もだいぶ減って、さっぱりとしたお寺ですが、かつては覆いかぶさるような木々が鬱蒼と生い茂っていたといいます。

 

このお寺には「仏法僧」という、その名もお寺にふさわしい鳥にちなんだ伝説があります。

その名前は泣き声が「ブッポーソー」と聞こえるから、というのが定説でした。

 

  

時代は文化年間(1804年~1818年)か、文政年間(1818年~1831年)の事と言われていますが、当時鬱蒼と生い茂っていたこの華蔵院の森に、いつも「仏法僧」という鳥が飛んできては「ブッポーソー、ブッポーソー」と鳴いていました。

 

昔から、この鳥はたいへん神秘的な鳥で高野山身延山といった人里から隔絶された霊域にしかいないのだとか、あるお寺が荒れるときにはこの鳥が現われて「坊主不都合、坊主不都合」と鳴くのだとか、なにかと噂の絶えない鳥でした。

 

そのような神がかった鳥が毎晩鳴くものですから里人たちも良い気分ではありませんでしたが、まさか追い払うわけにもいかず、ただ不気味な毎夜を過ごすだけだったのです。

 

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そんなある日、華蔵院の住職が里の檀家を集めて、こう言いました。

 

「皆々様よ、本日ここにお集まり願ったのは他でもない。

皆もお嘆きのように、このところ仏法僧が当寺の森で鳴いております。それは拙僧には「坊主は死んだか仏法僧、坊主は死んだか仏法僧」と聞こえます。

これは、まことに身がやせ細るかのような思いですが、これは当寺の手入れが行き届かずに荒れているものだから、きっと仏さまがお遣いをよこされ、拙僧を責めているのかと思われます。

そこで、これを何とかしなくてはならず、これはぜひとも檀家の皆さま力をお借りせねばなりません。」

 

と申しました。

 

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一同はみな押し黙っていましたが、そのうちの一人が「和尚さん、いったいどれくらい入用なので?」と声をかけると、「まぁ、少なく見積もっても50両はお願いせねばなりますまい」と言うのです。

 

当時の百姓たちにとって50両とは途方もない金額。

皆顔を見合わせるばかりで誰も一言も発せず、すっかりその場は白けてしまいました。

 

そこで、住職は華蔵院の門前に宅を構え、村一番の金持ちと評される彦左衛門に、あんただったらどうにかならんものか・・・と声をかけました。

 

しばらく押し黙って考えていた彦左衛門でしたが、

 

「ほかでもない和尚さんの頼みとあっては断れますまい。わし一人で50両の金子を用意しましょう。その代わり、わしの子孫代々までを華蔵院で一番の檀家にしてくださりませんか」というのです。

 

他の檀家たちも、彦左衛門が一人で50両を出してくれるというならと反対する者もおらず、とうとう彦左衛門の寄進で寺はすっかり修復されたばかりか、いつしか仏法僧の鳴き声も聞かなくなったといいます。

 

その民話を裏付けるものに、本堂の前にあるお地蔵さんの石像があります。

これは彦左衛門地蔵といって、寄進のお礼にと生前の彦左衛門と生き写しに作った等身大の地蔵尊だそうです。

 

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それからというもの、彦左衛門の家は約束通り華蔵院で一番の檀家となり、何かしら行事のある際は、住職は必ず彦左衛門の家から巡るしきたりだったそうです。

 

結局、この時に修復された本堂は明治27年か28年の大火に見舞われて焼失してしまったそうですが、その名残を残す彦左衛門地蔵だけが今なお残されて往時を偲ばせているのです。

 

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その後、「ブッポウソウ」という鳴き声は、実際にはフクロウの泣き声だったことが分かったそうです。

しかし、今なお彦左衛門家の末裔のところには、仏法僧の伝説として伝わり、彦左衛門地蔵は今なお本堂の一番目の前の目立つところに大切に祀られているのです。


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いま、他に誰もいない静かな境内を歩き、本堂前の地蔵に手を合わせるとき、真横でわずかに揺れる蓮の種ざやが葉にこすれて静かに音色を奏で、まるで訪れる人を手招きしているかのようです。

 

一見すれば、このようにどこにでもありそうなお寺でありますが、こうして歴史の資料や風土記を掘り下げていくと色々と新しい発見がある事をしみじみと感じ、原付で巡る旅の楽しさを改めて痛感するのです。

 

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