みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

平塚の銭洗弁財天 醫王院 妙圓寺 参詣記(平塚市)

平塚市、といっても随分と奥深くに入り、もうほとんど秦野市に近いところに、その名も座禅川という川が流れています。

 

昔、この川のほとりで修行僧が座禅を組んでいたことからその名が付いたそうですが、その座禅川のほとりにあって「土屋銭洗弁天」の異名をとり今なお多くの信仰を集めているのが天台宗寺院である和光山 醫王院 妙圓寺(わこうさん いおういん みょうえんじ)です。

 
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このお寺は天台宗寺院で、一体いつごろ開山されたのかははっきりとしていないそうです。

 

寺伝では元和元年(1615年)に比叡山の僧であった舜尭(しゅんぎょう)阿闍梨により中興されたと伝わっている事から、それ以前にはあったと思われる歴史の古いお寺です。


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今まで、みうけんは色々なお寺を巡ってきました。

大きくて立派なお寺、山あいのちいさな無人寺、ビルの一室に入ってしまったお寺、観光地化されたお寺、さまざまです。

 

その中で、特にこのお寺は一般にも広く開かれ、祈りの道場として多くの参詣客を受け入れ、また本堂にも積極的にあげていただきお参りをさせていただける、本来のありようを守った素晴らしいお寺であると思います。


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さて、みうけんがこのお寺に興味を持ったのは弁天様を大々的にお祀りされているからです。

 

みうけんは巳年であるために、かつて祖母によく横浜市の「菊名池弁財天」に連れて行ってもらった記憶があります。

 

へびというのは弁天様の使いである、というのがその理由ですが、その説の正否はみうけんは気にしていません。

 

そのようなご縁を得たことに感謝し、今でも心のどこかで弁天様を信仰しています。

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上の写真の鳥居をくぐると、その先は岩窟になっています。

一見して戦時中の洞窟陣地のようにも見えますが、もっと昔に掘られたものだそうです。

 

入ってすぐに人頭蛇身の宇賀神さまのお堂があり、写真に向かって左手の方にはさらに奥に細い道が続いており、こういう所に来ると防空壕に入って遊んだ(良い子はマネしちゃダメよ)子供の頃が思い出されてワクワクします。


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岩窟はずっと奥まで続いています。

この洞穴は中興開山の時代より掘り進められたものとされ、第4世の広然法印の代までに現在のような姿に整備されたものである、とされています。

 

まるで三浦半島に多く残されている旧日本軍の洞窟陣地に来たかのようですが、こちらはきちんと足場があって歩きやすく、照明もととのっています。 


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洞窟の御本尊様と思われます。これは胎蔵界大日如来さま。

いつごろ建立されたのか、その年代は分かりませんでしたが、それほど古いものではないようにも見えますし、単にずっと洞窟の中にあるために日光や風雨に晒されることがないので、こうして良い状態を保っているのかもしれません。

 

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この岩窟内には、ほかにも天台大師、伝教大師如意輪観音稲荷宮胎蔵界大日如来如意輪観音、舟形地蔵、金剛界大日如来など多くの仏尊が安置されています。

また、銭洗い池もここにあります。

心を込めて一ヶ所一ヶ所にお参りさせていただきました。


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岩窟を出て真上の小高い丘の上に登っていきます。

途中の階段からは、本堂を始めとした境内の光景をよく眺めることが出来ます。

この本堂は、延享2年(1745年)に再建された、およそ270年前の建物だそうです。


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丘の上にある弁天堂「寳珠殿」。

特にこのお寺は弁天様にまつわる巳の日ごとに「護摩供」が開催されており、誰でも参加ができるという事です。

このお寺がもっと近くにあれば、足しげく通っていたかもしれません。


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この「寳珠殿」と名付けられた辯天堂は、文化元年(1804年)12月に再建されたというたいへん貴重な建物です。

村内の宮大工により、釘を一本も使わずに建立されたものといわれています。

 

お堂は鎖錠されておらず、自由に中にお邪魔してお祈りすることが出来ます。

実にありがたいことです。


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このぷっくりとして、実に福がたくさん頂けそうな弁天様は「何事も願いを叶えて下さる」と評判で、八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)というものです。

 

手を8本もち、それぞれに宝珠や宝刀を持って衆生の願いをかなえ、または迷いを断ち切るありがたい弁天さまだそうです。

 

よく見ると頭の上には、人頭をもつ白蛇である宇賀神を乗せており、その両脇には大黒天と毘沙門天を従えています。

 

 また、その背後には人々の願いを具現し、成就させる使者として辯財天にお仕えする十五童子の姿を見ることが出来ます。

 

胎内に収められた札には「此尊天始ハ不知中興ハ小田原左内ト聞。其次ニハ江戸池端ニテ仏師黒田高山仕之者也。其ノ後宝暦ノ頃法印祐俊再興也。次文化二丑五月本尊等再興豊純代」と墨書されているとのことです。

 

この妙圓寺の公式サイトでは、弁財天について以下のように紹介されています。

 

古代インドでは、インダス河の支流「サラスバティ」の河岸に立って歌を唄うと美声になると信じられており、遂にこの河が神格化され弁舌・音楽・智恵の神として崇められたのが辯財天信仰の起源であると言われています。

 

その後、お釈迦様が仏教を説かれ、それ以前のインドの信仰や習俗も仏教に帰入されますが、辯財天信仰は現世利益の大きい信仰としてさらに盛んになっていきました。護国三部経の一つとされる「金光明経(金光明最勝王経)」の中心に辯財天が据えられ、「仏の教えを説き仏の道を守り実行する人々を守護し智恵弁才を増進させよう」と誓われたとあります。

 

わが国では、仏教伝来直後の奈良・平安の時代には、既に辯財天が篤く信仰を集めるようになり、伝教大師最澄上人の比叡山開創にあたっても、辯財天が現れ大きな力をかしたと伝えています。

 

堂内にはお線香や仏具、経本が備え付けられており、せっかくなのでお経をあげさせていただきました。 


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また、この日は御朱印も頂戴いたしました。

のびのびとした筆遣いと力強い筆遣い、両方を併せ持った美しい御朱印でした。

 

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御朱印をいただく間、本堂でもお経を上げさせていただきました。

こちらは天台宗の最高の位である天台座主の第18代、また俗に厄除け大師として信仰をあつめる元三大師良源(がんざんだいし りょうげん)さまです。


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今回は、この和光山 醫王院 妙圓寺を余すところなく堪能させていただき、都度都度で読経もしたので、なんだかんだと2時間ほど滞在させていただきました。

 

このお寺はみうけん家からはちょっと遠いのでなかなか行くことはできませんが、ご住職もたいへんに柔和で素晴らしいお人柄ですし、これは来てよかったな、良いご縁をいただいたな、と心から思えるお寺でした。

 

この日のご縁を忘れることなく、これからも近くに立ち寄った際には弁天様にご挨拶させていただこうと思います。

 

南無大弁財天尊。