相模原市の上九沢地区、鳩川が静かに流れるそのほとりに佇んでいるのが、曹洞宗寺院である巨福山 梅宗寺(こぶくさん ばいそうじ)です。
このお寺の歴史は古く、開山は戦国時代末期の慶長2年(1597年)までさかのぼります。
この梅宗寺の本堂に向かって左手には立派な観音堂がありますが、このようなお寺に付随したお堂は、本堂への参道に面して建てられている場合が多いのです。
しかし、梅宗寺の観音堂はお寺の前を通る道に向かって作られているのがわかります。
一見して綺麗に建て替えられている明るい観音堂ですが、この観音様には聞くのも悲しい哀話が込められていると言うことです。
むかし、この寺の前に飴を売って生計を立てているお婆さんが住んでいました。
このお婆さんが作る飴は味が良く、近在の子供たちがいつも集まっていたということですが、ある日どこからか一人の女巡礼がたどりついたのです。
六十六巻の写経を携えて六十六か所の寺に奉納して歩く「六部」という修行をしていたその女巡礼は、長旅の無理がたたった上に妊娠していたとあって、この門前で産気づいてしまい、倒れたままにもがき苦しんでいました。
お婆さんは驚きながらも自らの家に連れて帰り、手を尽くして介抱したために子供は無事に産まれたものの、女巡礼は我が子の顔を見るや気が抜けたのかみるみるうち容体も悪化し、とうとう子を置いたままに還らぬ人となってしまったのだといいます。
お婆さんは、若くして修行の道半ばに子を残したまま黄泉の国へと旅立っていった女巡礼をあわれみ、ねんごろに無縁墓に葬ると子供を引き取って面倒を見ますが、しばらくして梅宗寺の住職に引き取られて暮らすことになりました。
しばらくたったある日、夜も更けて暗くなると必ずお婆さんの店先に一人の女が立つようになりました。
髪は乱れ、病がちにも見えるその顔はげっそりとやせ細っているようですが、何ぶんにも暗闇の中のことで顔の表情までは伺い知ることはできません。
その女は一文銭を差し出すとだまって飴玉を指さし、一言もしゃべらずに飴玉を買い求めたのだそうです。
そんな事が六晩は続きましたが、それ以降はハタリと来なくなってしまったので不思議に思ったお婆さんは梅宗寺の住職にことの一部始終を打ち明けました。
しばらく押し黙って考えていた住職でしたが、
「それは、つい先日に門の前で亡くなった巡礼の幽霊であろう。飴玉など与えたことがないのに赤子がしゃぶっているので不思議に思っていたのだ」
と切り出し、さらに
「よほど女は赤子のことを気にかけていると見える。
六晩続けてきたというのは、自らが三途の川を渡る為の六文銭を使い果たしてまで赤子に飴を買い求めたということではないのか。
まこと、子を想う母の心というものは深きものだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」
と手を合わせ、数珠を鳴らすのでした。
この話を聞いたお婆さんはあまりの哀れさに心を動かされ、その亡霊を慰めんと近所の人々と共に、寺の裏に流れる鳩川に「流れ灌頂」を作ってねんごろに冥福を祈ったということです。
「流れ灌頂」というのは、川ざらしともいって川のほとりに卒塔婆を立て、その卒塔婆に経文を書いた白布をつり下げたもので、側に用意された柄杓を使って通りがかりの人々に川の水をかけてもらうという供養の方法でした。
白布が濡れている間は死者の苦しみが救われるというもので、今ではすっかり廃れてしまったもののかつては無縁の亡者や水死人、難産を経て亡くなった母親の亡霊をなぐさめるために多く見られたといいます。
同じような例は、過去にも三浦半島の記事で紹介したことがあります。
やがて、この女巡礼が亡くなった場所に観音堂が建立され、この哀話を伝え聞いた村の人々によって手厚く、永くにわたって供養が行われました。
その女巡礼が亡くなったのが6日であったために毎月の6日を縁日として「六日観音」と呼ばれ、今なお安産について霊験あらたかであるとして多くの信仰を集めているということです。
現在、この観音堂には百体にもおよぶ石の観音像が安置してあるそうで、毎月18日にご開帳されます。
その中に、一体だけ真っ白く塗られた観音像があり、これこそが「白子観音」と呼ばれて現在でも安産の守り本尊と崇められ、多くの信仰を受けて霊験もあらたかであるとされいます。
ここに奉納された蝋燭をお借りし、お産の最中にともしておけば、燃えおちるまでには必ず安産で終わると信じられており、そのため短い蝋燭から減っていくというのもなかなか面白いのではないかと思います。
なお、無事に安産で終わった暁には、必ず真新しい蝋燭をお供えする決まりとなっているそうです。
夏も終わりに近づいてきたある日、梅宗寺の本堂で御本尊様にお参りし、また観音堂では観音経を上げさせていただきました。
観音経をあげると、不思議と清々しい気分になるものです。
しかし、お参りを済ませてお寺の前の細い道に目を向けた時、かつてこの道で身重の女巡礼が倒れ、我が子を心配するあまり自らの三途の川の渡賃まで使い果たしてしまった母親の無限の愛を思い出す時、何とも言えない哀れさの中に、生きていくという事の厳しさを思い知るのです。
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