三浦市の宮川というところがあります。
三浦三崎の中心部から東に1キロほどいった、観光客もあまり訪れないところで、ここまで来れば宮川の集落の周りは一面の畑と森が広がっています。
その宮川集落の真ん中のあたりにあるのが浄土真宗寺院の「円覚寺」という寺で、この近辺には浄土真宗の家が多いということですが、このお寺自体はこぢんまりとした目立たないお寺です。
さて、この宮川の円覚寺のあたりには「身代わり名号」という不思議な言い伝えがあります。
ある日、この近くに百姓の夫婦が住んでおりました。
妻は大変に信心深く、昼は家事をこなして疲れているはずなのに、夜になれば床を抜け出して薪小屋へと出かけていくのです。
実は、妻は薪小屋に毎晩のように出かけては、壁に「帰命尽十方無碍光如来」という名号が書かれた紙を壁にかけ、熱心に名号を唱えてお祈りしていたのです。
「帰命尽十方無碍光如来」というのは、「きみょうじんじっぽうむげこうにょらい」といって、「浄土論」の冒頭にある「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」(世尊よ、我は一心に、尽十方の無碍光如来に帰命して、安楽国に生まれんと願ず)という経文の一部分です。
「尽十方無碍光如来」というのは、阿弥陀如来の事を指しますから、すなわち「帰命尽十方無碍光如来」は「南無阿弥陀仏」と同義であり、「阿弥陀仏に一心に信心いたします」ということです。
そんな事を知らずに、夫は毎夜に抜け出して薪小屋へ通う妻をいぶかしみ、ある夜にいてもたってもいられなくなって、こっそりと様子を伺いに行きました。
すると、薪小屋の中からは妻が何やら囁く声がするので、てっきり妻が男を連れ込んで浮気しているのだと勘違いした夫は、一度引き返して山刀を持ち出すと妻に斬りかかって殺してしまったのです。
妻は確かに息絶えて倒れたはずでしたが、夫が息を切らせながら部屋に戻ってみると妻は何食わぬ顔をして針仕事をしているではありませんか。
これには夫もびっくり仰天して腰を抜かし、きっと狐か狸の仕業だろうと薪小屋に戻ってみると、壁にかけてあった名号の「光」の字が見事に山刀に刺し貫かれていたという事です。
夫は我が身の行いを大いに恥じると、その日から夫婦そろって熱心に信心するようになり、この名号を尊び敬ったといいます。
いま、この阿弥陀堂にはそれを伝える案内などは何もなく、ただ狭い境内に墓石が立ち並ぶだけのところですが、この阿弥陀堂の境内に立って手を合わせて昔日の事に思いを馳せる時、夜陰に紛れて熱心に南無阿弥陀仏の祈願をした妻の念仏がはるかに聞こえてくるようで、ここにも在りし日の思い出が蘇るかのようです。
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