東急東横線の妙蓮寺駅を降り、今なお活気ある妙蓮寺駅前商店街を抜けると、かつてため池であった菊名池のほとりに出ることが出来る。
菊名池は水道道に分断され、北側は菊名池として、南側は妙蓮寺プールとなっているが、かつて戦前まではひとつの大きな農業用のため池であり、ウナギやコイがたくさん取れ、終戦直後は進駐軍兵士が泳いでいるのをよく見かけたという。
その、妙蓮寺プールのわきににある小さな祠が、かつては菊名池の水神様として篤い信仰を受け、今なお横浜七福神の弁財天尊として正月にはたいへんな賑わいを見せる菊名池弁財天なのである。
真新しい鳥居の脇には菊名池弁財天の綺麗な石塔が立ち、まるで歩く人を呼び止めているかのようでもあるが、時折通り過ぎるお年寄りのみならず、親子連れまでがたまに立ち寄ってはお参りをしていく姿が実に微笑ましい。
こちらの弁財天は市杵島姫命であり、一般的には琵琶を持ち芸能の神様としてあがめられることの多い弁財天ではあるが、こちらの菊名池弁財天は右手に魔を払い交通安全と家内安全にご利益のある剣、左手には招福の玉として財宝授与・商売繁盛にご利益のある宝玉をお持ちになっており、広く民間の信仰を集める守護神なのである。
こちらのほこらは、かつて山車として使われていたものを流用したものであるが、その彫刻技術の高さはかつて日本に多くいたであろう名もなき匠たちの技を存分に見る事が出来る秀作であろう。
みうけんはもともとこの近辺の生まれであるが、生まれ年が巳年(へび)であるため、祖母によくよくこの祠に連れられてお参りをしたものである。
昔から弁財天の眷属(けんぞく、すなわち神のわきにあり、神のもろもろを補佐し、信者の願いを神に届け、神の使いとしてそばにいた従者)は蛇であるとして全国の弁財天では蛇の像が脇に据えられたり、中には弁財天そのものが蛇の姿をしている者もあるが、みうけんはヘビ年であるからきっとご縁がある、だから生まれた地にの近くにも弁天様がいらっしゃるのもきっと何かのご縁と、幼いころから聞かされておりみうけんの人生観と宗教観に大きな影響を与えたのである。
いま、かつてのため池は近代的なプール公園へと姿を変え、夏には楽しげに水遊びをする子供たちの笑い声が聞こえているが、時代も移りかわり平和で繁栄を極める日本を見て、弁財天様はどのようにお思いであろうか。
いま、かつてお婆さんに連れられてお参りに来た子供も大きくなり、就職、結婚へと社会人への道を歩み、仕事に家事に子育てにとなかなか多忙な日々を送っている。
だが、横浜の南側へと引っ越してしまい、そうそう菊名池に行く機会がなくなった今となっても年に数回かは足を運び、またお寺に事情を説明して特別に開眼していただいた菊名池弁財天の御分霊はいまでもみうけん家の神棚におさまり、どんな時でも穏やかな笑顔でみうけん家とその家族を温かく見守っているのである。