みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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大飢饉の後年に里人の願いを託された 上矢部の子育て地蔵(相模原市)

死後の世界の六道(天道・人間道・修羅道畜生道・餓鬼道・地獄道)で迷える亡者の手を引き、極楽浄土へ案内するとして信仰されてきた地蔵菩薩

 

その霊験によって今なお交通事故の現場などに建立される事が多いばかりか、子供が大好きな菩薩さまと知られ、赤いよだれかけや赤い帽子をまとった姿は子供の象徴として今でも信仰されています。

 

特に、その中でも多くの子供たちを見守り、健康に育てることを本願としたのが全国各地に多く残されている「子育て地蔵」さまであり、ここ相模原市の中心部から外れた上矢部の里にも、こぢんまりとした地蔵堂の中に大切にお祀りされているのを見ることができます。

 

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子育て地蔵さまは、特に新生児を守り、災難や飢饉からお守りくださる菩薩さまとして信仰されてきました。

 

かつて食糧事情もよくなく、医学も発達していなかった時代には、ひとりの子どもを守り育てるというという事も簡単なことではなく、少しでもお地蔵さまにすがって我が子を健康に育てようという親たちの願いが込められています。

 

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この上矢部の子育て地蔵さまは、江戸時代中期の元文元年(1736年)に建立されたものです。

元文年間とは、江戸幕府第8代将軍の徳川吉宗公のころで、もう300年近くもむかしのものとなります。この少し前の享保17年(1732年)には全国で享保の大飢饉があったこともあり、子供を無事に育てたいと願う里人たちの思いはいっそう強かったことでしょう。

 

今となってはすっかりすり減ってしまい、そのお顔も今では定かではありませんが、今なお数えきれないほどの千羽鶴が奉納され、今なお大切にされているのが見てとれます。

  

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今、この小さな地蔵堂の前に立ち、手を合わせて静かに祈りを捧げていると、かつてこの小さなお地蔵さまに一心に祈りを捧げた、幼い子を背負った母親たちの後ろ姿が目に浮かぶようで、ここにも遥かなる時流の流れを感じたのです。

 

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