横須賀の東海岸を南北に縦断し、ところどころ海沿いを走る風光明媚な道があります。
湘南道路、いわゆる国道134号線沿いです。
このうち、長沢あたりは著名な歌人である若山牧水が愛した町でもあり、現在はその面影はほとんどありませんが過去記事で紹介した事があります。
さて、この長沢の街には若山牧水がよくコップ酒を飲みに行ったとされる「源仲商店」が今も残されています。
その「源仲商店」より西に100メートルも行くと、道端に立派な地蔵堂が建てられ、いつも掃き清められてきれいに管理されているのを見ることができるのです。
このお地蔵さまは地元では「長岡地蔵尊」と呼ばれていて、特に信仰を集めてきたという事ですが、見たところ、それほど古いものにも見えません。
どこかに建立年が刻まれているかもしれませんが、まさか赤いお着物を脱がせて確認するわけにも行きませんので、いつ頃のものかはよく分かりませんでした。
この地域を紹介する「北下浦マップ」では、
地獄・餓鬼・畜生・修羅界に落ちて苦しむ亡者を救ってくれるのが地蔵菩薩である。まだ功徳を積むことなく死んだ幼児は、必ず地獄へ落ちると考えられ、子供を亡くした親は、お地蔵さんにお参りして我が子の救いを願うのである。もとは貴族信仰であったが、次第に庶民に広がり街の辻には多く見られるようになった。
と紹介されています。
であるとすれば、これは生きる事が大変で、無事に大人に成長することすら難しかった時代に、幼くして亡くなってしまった子供たちの魂を極楽浄土へと導かんとする大いなる慈悲のために建立されたものでしょうか。
静かに閉じた目、小さく固く噛みしめた口からは、まるで一人でも多くの子供を救おうとする不動の決意が伝わってくるようです。
また、人一倍おおきな耳は、困った子供がどんな遠くから助けを求めていても、すぐさま聞きつけて救いに行くためである、とあるお坊さんから聞いたことがあります。
そのような事を思い出しながら長岡地蔵さまに向き合っていると、こちらまで背筋が伸びる思いがしました。
この脇には小さな墓碑が二つ並んでいます。
どちらも「法師」と陰刻されていますから、お坊さんのもののようです。
向かって左は宝暦7年(1757年)、右のものは天明4年(1784年)と彫られていますが、どちらも全国的に競作が広がって大飢饉となり、多くの死者を出したころです。
このお地蔵さまと、どのような関係があるのでしょうか、今となっては大した記録もなく、知る由もありません。
いま、通る人もまばらな旧道のわきに静かにたたずむ長岡地蔵さまの前にひざまづき、静かに手を合わせていると、今までこのお地蔵さまに語り掛けてきた多くの里人たちの願いがこちらにも伝わってくるようです。
まるで、物言わぬお地蔵さまはこちらに何かを語りかけてきているようにも見え、ここにもかつてこの里で生きてきた人たちの思いをうかがい知ることができるような、そんな気にさせられるのです。