御殿場や足柄を経て流れ来る鮎沢川と、丹沢湖から流れ来る河内川が谷峨の近くで合流して酒匂川となります。
この酒匂川は山北から松田を経て、小田原を通り相模湾へと注いでいますが、この酒匂川の小田原のあたりには、龍宮女房の伝説というものが言い伝えられています。
昔の事ですが、小田原は酒匂川の近くに正助という男が住んでおりました。
正助はいつも正直で、人には優しかったのですがそれが災いして商売も下手なために実に貧乏な男で、年中ネギを売っては生活の足しにしていました。
ある年の暮れ、お金がなく嫁を迎えるどころか餅すら買えずにいる正助が川のほとりにいると、一匹の亀が近寄ってきました。
亀は「とても素晴らしいところへ連れて行ってあげますから、私の甲羅に乗りなさい」というのです。
亀は人よりも小さいので踏みつぶしては大変だと断る正助でしたが、どうしてもとせかす亀に根負けしては亀にそっと乗り、やがて立派な御殿がどこまでも続く国に連れてこられました。
亀がいうには、ここが話に聞いた龍宮で、正助は龍宮の王、龍王のところへと連れてこられたのです。
龍王は、常日頃から正助の行いを見ているが、実にまじめて正直者であり誠に立派である、と褒めるばかりか、とても美しい姫を妻として与えられました。
正助は見た事もないような御馳走でもてなされてから、姫を連れて亀に乗って自分の村へと帰ってきたのです。
この二人は実に仲睦まじく暮らしていましたが、貧しい正助が見た事もないような美しい娘を嫁にもらえば、当然ねたむ者も出てきます。
なんと、事もあろうに国の行政官であった国司が、権力を利用してこの妻を奪い取ろうとしたのです。
さっそく国司は正助を白洲に引き出しました。
そして、白ごまを積んだ船を千艘、黒ごまを積んだ船を千艘差し出すように、と命じたのですがこんな無理難題をかなえられる人はそうそういるわけがありません。
正助は怒りを通り越して呆れるばかりでしたが、妻がまたたくまに龍宮からその通りの船を呼び寄せたので、驚いたのは国司のほうでした。
それでも国司はあきらめません。
次に「これはこれは」というものを持って来い、出来ねば妻を奪い取る、と正助に詰め寄ったのです。
妻は「心配ない、心配ない」と一笑に付し、自らの姿を煙に変えて小箱に収まり、この箱を持って行けといいます。
正助はわけも分からぬままに、妻に言われたとおりに国司にその箱を差し出しました。
国司がおそるおそる小箱をあけると、巨大な大蛇が出てきて「これはこれは」と驚く国司を絞め殺してしまったのです。
次に驚いたのは正助でした。
いかに悪人の国司とはいえ、目の前で人を殺されてしまってはたまりません。
正助は震えあがってその場を駆け出し、どこかへと逃げ去ってしまったのです。
大蛇は嘆き悲しみながら正助を探していましたが、やがて川に入ってしまい二度と姿を現すことはありませんでした。
正助は、流れ流れて他国へとたどりつき、またもとの貧しいねぎ売りとなったそうです。
龍宮の話は全国に伝わっており、有名な浦島太郎をはじめとして、このお話もそのうちのひとつに数えられるでしょう。
このお話は現在では西湘地域を代表する昔話となり、昭和世代にはなつかしい「まんが日本昔ばなし」でも、姫に「きさ」という名をつけて紹介されているのです。
このように、全国には似たような昔話が多く残されています。
六地蔵にまつわる話、竜神にまつわる話、大蛸にまつわる話、そして龍宮に行ったという話です。龍宮にまつわる昔話は日本だけではなく、中国にも朝鮮半島にもあります。
このような龍宮伝説は、現在のような科学万能の時代では一笑に付されてしまうものかもしれませんが、長い間語り継がれてきた話というだけではなく、昔は実に多かった海上での遭難に関わっているのかもしれない、とみうけんは思います。
三浦半島や茅ヶ崎、平塚などのお寺を巡っていると、海上安全を願って建立された仏像や、海での遭難者を供養するために建てられたお地蔵様などを多く見かけます。
それだけ海上での事故が多かったということでもあり、海に出ていったまま帰ってこない家族が、せめて龍宮のような楽園で安楽に暮らしている事を願い、また願わくばいつの日か再び家族の元へと帰ってこられますように、という切なる願いが秘められているような気がしてならないのです。