横浜市泉区には、和泉町(いずみちょう)という町名があります。
比較的面積の広い町ですが、北側、南側、さらに米軍の深谷通信所跡地と3カ所に分かれてしまった珍しい町です。
この南側の地域、四谷バス停の近くの高台に第六天神社があり、この一帯(下和泉上分)の鎮守さまとして大切にされています。
泉区は横浜市内でも比較的水田が多く残るところですが、ここ第六天神社の周囲もかつては一面の田んぼでした。
今の和泉川のあたりから眺めると、白く輝く御影石の鳥居が緑の森の中に映え、たいそう美しい風景だったといいます。
さて、この神社の東側には酒湧池と呼ばれる池があり、弁天池とも呼ばれています。
かつては池の中に島があり、小さな祠が祀られていたそうですが、マンション建設の影響もあり池の面積は小さくなり、島もなくなってしまったようです。
また、かつてはすぐ近くまで行くことが出来ましたが、この時は柵に囲まれて立ち入り禁止となっていたので柵のすき間から写真を撮る事しかできませんでした。
実に悲しい事ですが、これも時代の流れでしょうか。
この池には、ひとつの伝説が伝わっています。
昔、この和泉の村には年老いた父と、父親思いの孝行息子のが二人で仲良く暮らしていました。
父は何よりも酒が大好きで、息子は一生懸命働いて、苦労して金を稼いではその金で酒を買い、父を喜ばせていました。
そのため、その二人はいつまでも貧しく、時には酒を買えない日もあったといいます。
そんなある日、息子が泉のほとりを歩いていると、どこからともなく今までかいだこともないような旨そうな酒の香りがしてきます。
その香りの元をたどっていくと、たしかにこの池から酒の香りがして、その香りだけで酔ってしまうかのようです。
まさかと思いつつも、この水を汲んでみると、それは紛れもない酒で、しかも今まで飲んだこともないような美味しい酒だったのです。
孝行息子は、さっそく樽を持って来て池の酒を入れて持ち帰り、父親に飲ませました。父親もたいそう喜んだことでしょう。
そんなある日、この孝行息子が酒を入れた樽を持って橋を渡っているとき、村人に出会いました。
その橋は最近まで樽見橋という名がつけられていましたが、現在は川ごと埋め立てられ、平成六年にこの伝説を後世に伝えようと一念発起された地元の住民の手によって石碑が建っているのみです。
この話を聞いた村人は、さっそくこの池の酒を売りさばいて一儲けしようと、大八車にありったけの樽を乗せて、たくさんの酒を持って町へと行きました。
さっそくこの酒を街中で売り始めますが、その途端に酒はただの水に戻ってしまうので、高い金を払わせてただの水を売りつけたという事で散々な目に遭ってしまいます。
このように、川や池の水が酒となる伝説は日本全国に残されています。
ここ泉区にも残されていたというのは意外ですが、この神社が古くから多くの人に親しまれてきたことを伺わせるエピソードです。
このように伝説が残る貴重な酒湧池ですが、他にも土地はあろうに開発の波に呑まれてしまい、わざわざこの池を埋められてしまう事が残念でなりません。