みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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長浜の海岸に残された 歌人若山牧水の足あと(横須賀市)

海岸沿いに走る京浜急行京急長沢駅から海の方に行くと、どこまでも続く広くて長い風光明媚な長沢海岸に出る。

 

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この長沢は戦前の日本を代表する歌人若山牧水が住んだ町でもあり、いまなお海岸には若山牧水の歌碑が建てられており、

 

  白鳥は かなしからずや 空の青

   海のあをにも そまずただよふ 

 

という牧水の歌があり、その裏側には

 

  うちけぶり 鋸山も 浮かび来と

   今日のみちしを ふくらみ寄する

 

と喜志子夫人の返歌が刻まれているのである。

 

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歌人若山牧水は、明治18年(1885年)8月24日、宮崎県は現在でいう日向市で医師の長男として生まれ、中学生のころから短歌と俳句に親しむ生活を送っていた。

 

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牧水という号は18歳の時に定めたもので、「当時最も愛していたものの名二つをつなぎ合わせたものである。牧はまき、即ち母の名である。水は生家の周りにある渓や雨から来たものである」と伝えられている。

 

早稲田大学を経て中央新聞社に入社するが半年たらずで退社すると、「創作社」を設立して詩歌雑誌「創作」を発行、これを皮切りに数々の詩歌雑誌を出すなど精力的に活動するが健康状態は良くなく、急性胃腸炎と肝硬変により 昭和3年(1928年)9月に43歳の若さでこの世を去った。

 

長沢へは大正4年から、かねてより病弱であった喜志子夫人の転地療養の為に引っ越してきており、当時「川端」との屋号で呼ばれた斎藤家住宅に移り住んだが、この家の妻にお産があるなどして、大正5年には北下浦小学校に近く「蜜柑畑」が脇にあったために牧水が「蜜柑畑の家」と呼んだ谷家住宅に移り住んだ。

 

現在、最初に住んだ斎藤家はすでになく、谷家は当時の家屋を解体して近代的な家とアパート群に立て替えてしまったが、谷家の歴史は古く、鎌倉の大仏の台座に、先祖の名「重左衛門」が刻まれているという。

 

この家で牧水は日々歌を詠んだというが、当時の家はすでに失われているものの、病弱の夫人を連れて毎日のように散歩した長沢海岸から眺める房総の鋸山の風景は今なお残り、寄せては返す白波は今も昔も変わる事はないのであろう。

 

また、若山牧水は酒をよく好む歌人でも有名であり、酒にまつわる歌も多く残していることから、その酒好きぶりがうかがえるが、長沢には牧水がよくコップ酒を飲みに行った「源仲商店」が今も残されている。

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また、この源仲商店の前の道を西に470メートルほど歩くと、今は積石垣の脇に資材置き場があり、新しい家が立ち並ぶ一角がある。


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ここには昔、「藤里」という居酒屋があり、ここにも牧水はよく酒を飲みに行っていたといわれ、牧水のいう「Fという店」は、このことである。

今ではここに店があったなどとはとうてい想像もつかないが、店の脇にある積石垣だけはその形を変えず、この場所に在り続けている。

 

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若き日の牧水は、こうした店で酒を飲んでは借金を作り、また店を変えては借金が出来るまで飲んでいたということで貧窮生活の中でもこよなく酒を愛したが、その酒により肝臓を壊して命を縮めることとなったのは皮肉というほかない。

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いま、牧水の住んだ家もなく、海岸で犬を遊ばせるご老人ですら牧水がこの地に住んでいたことを知らないという。

 

着実に牧水の足跡が失われ、人々から忘れられて行こうとしているかのようであるが、今なお絶え間なく寄せては返す白浜の波と、東京湾の奥にのぞむ鋸山の風景は当時と変わらず、それらを見つめるようにしてたつ一基の牧水歌碑が当時を偲ばせているのである。

 

 

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