みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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時代の波に消えゆく 四軒村と椿稲荷の伝説(相模原市)

JR淵野辺駅から北側に1.3キロほど行ったところに、「相模つばさ幼稚園」という幼稚園があります。

 

いつもは幼児たちの楽しそうに遊ぶ声や、声を合わせて歌う声が聞こえてとてもにぎやかなところですが、この幼稚園の向かいには、木々に囲まれた立派なお稲荷様の祠が祀られているのを目にすることができ、地元の方々からは「椿稲荷」と呼ばれて大切にされているそうです。

 

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このあたりはかつて四軒村(しけむら)と呼ばれていました。

古くから四軒の民家があって、もともとは戦にあきた武士が土着したところである、と言われていますが、不思議なことに家は必ず四軒でなくてはならず、もし四軒以上になったり、それ以下になったりすると、必ず良くない事が起こったのだそうです。

 

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この椿稲荷というお宮の近くには、病田といって誰も手を付けてはならない、と信じられていた農地もあったそうです。

 

誰かが手をつけると良くないことが起きるというので、農地の真ん中に荒れ地のようにして残っていたそうですが、今ではすっかり住宅街になってしまっています。

 

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その四軒村の東の方には「新右衛門平」という土地がありました。

元々はまんまるの塚があったそうです。

この塚については、いつの事か定かではないもののこのあたりに新右衛門という武士が住んでおり、ある娘との恋仲になったそうです。

 

しかし、新右衛門のところに娘はやれぬ、と頑なに拒み続ける娘の父と言い争いになり、とうとう娘の父に斬り殺されてしまったということです。

 

これを哀れに思った村人たちが新右衛門をねんごろに葬ったのが新右衛門平の塚で、やはり祟りがあるとして誰も近づかなかったという事です。

 

また、他のお話では、ここに住んでいた新右衛門という男が境川の洪水で還らぬ人となり、その菩提を弔った塚だともいわれており、その真相はハッキリしていないそうです。

 

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いっぽう、この椿稲荷神社は、今から千年ほど前に金子一族が当地に定住した際に、稲荷大明神を勧請して創建したものです。

その時に椿の木を神木としていたことから、そのように呼ばれたのだそうです。

 

この四軒村に住んだ侍というのは、金子一族のことでしょうか。

この件に関しては、相模原市の郷土資料にもこれ以上詳しい事は乗っておらず、地元の方に聞いても新しく引っ越してきた方が多く、このような話をご存じの方は一人もいらっしゃいませんでした。

 

この民話も、いつの日か歴史の波に呑まれていくのでしょうか。

このあたりに、いろいろと逸話があった事は確かなようですが、この民話たちもいつしか忘れ去られていく事でしょう。

 

いま、この小さな稲荷社に手を合わせて数百年の時の流れに思いをはせるとき、かつて戦の華として闘いながら落ち延びてきたさむらいたちの隠れ住んださまが山間の谷戸に甦るかのような光景が瞼に浮かび、ここにもはるかなる時流の流れを感じるのです。

 

 

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