みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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主君への忠義を守り通した 惣吉と惣吉稲荷(相模原市南区)

町田駅の南側、鶴園小学校の東側のところは比較的新しい住宅街ですが、どこかしら昔懐かしい雰囲気も漂わせています。

 

土地の人は、この辺りを古くから中和田とよんできました。

その中和田にある小ぢんまりとした神社が、いわゆる惣吉稲荷です。

 

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惣吉稲荷は、鶴園小学校の東側を走る鎌倉道という古道を上り切ったところにあります。

むかし、ここには無量山 西光寺という寺院がありました。

 

江戸時代後期に編纂された「新編相模国風土紀稿」の高座郡 澁谷庄 上鶴間村の項には

西光寺 無量山と号す。昔は浄土宗なりと伝ふ。開山を石岑と云ふ。明暦元年十月廿二日寂す。本尊弥陀を安す。地頭大岡氏祖先吉重郎義成夫婦の位牌を置く。

稲荷社。

とありますが、現在は廃寺となっており、その面影はありません。

 

ただ、稲荷社の裏側にはわずかに墓地が残されているのが、かつてお寺があった事をにわかに伝えてくれているかのようです。


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この稲荷社は、こう言っては失礼ですが大して大きなお社でもなく、鎌倉の佐助稲荷のようにどこまでも延々と続く赤鳥居が並ぶわけでもなく、訪れる人もあまりない寂しいところです。

 

しかし、この稲荷社はこぢんまりとしていながらも、色々な歴史の変遷を経ていまここにある事を、本殿わきの案内板が詳しく教えてくれています。

 

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さて、上記の「新編相模国風土紀稿」を引用した中で「稲荷社」とあるのが、まぎれもなき惣吉稲荷の事です。

 

元々は西光寺の摂社だったものが、西光寺のみが廃寺となり、稲荷社だけが残されたのです。

 

この惣吉稲荷の名の由来を調べてみると、実に興味深い逸話が残されていました。

それによれば、ここに元あった西光寺には三河国は岡崎出身で、徳川家の譜代家臣であった大岡吉十郎義成夫妻の位牌があったそうです。

 

この大岡義成は、この地域の地頭をも務めた人物です。

大岡義成は、戦国時代が終わりを告げようとしている天正19年(1591年)5月、ここ上鶴間村の一部に300石の扶持を得て、村に古くから住んでいた高木家と小木家を名主に用い、その領地を治めました。

 

のちに330石にご加増となり、慶長4年(1599年)に42歳の若さで亡くなっています。

この神社の片隅には、2大目の作右衛門が建てた夫妻の墓碑が今でも大切に残されています。


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さて、この大岡家には惣吉という奉公人がおりました。

この男は類稀に見る実直で真面目な男で、かつ忠義心にあつく、大岡義成が亡くなってからは自ら寺男となって寺に住み込み、その墓守として菩提を弔ったのだといいます。


その美談は多くの人々の心を揺さぶり、感動した人たちによって稲荷社に惣吉の名がつけられたのだということです。

 

のちに西光寺が廃寺となり、この稲荷社だけが残されました。

お寺はなくなっても惣吉の美談は消えるわけもなく、惣吉の遺徳を慕った里人たちによって「惣吉稲荷」という名が与えられて今に至っているという事です。

 

この稲荷社がいつ頃からあるのかについては、詳しいことはわかっておりません。

ただ、境内には延文4年(1359年)、つまり足利尊氏室町幕府を開いて20年あまりのころに、この近くに鎌倉古道が走っていた事を示す板碑が残されていることから、この頃にはこの地に祀られていたという説があります。

 

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また、すでに廃寺となった西光寺が明暦元年(1655年)に開山されている事から、その頃ではないかという考えもあるようです。

 

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いま、春も終わりを告げようとしている静かな夕暮れの中、早めのトンボが飛び交う境内を1人歩いて首の落ちた石仏に手を合わせるとき、その脇に立つ大岡義成夫妻の墓碑に向かってひざまづき線香を手向ける忠義の男の姿が俄かによみがえるかのようで、ここにも時の流れのはかなさを身に沁みて感じるのです。

 

 

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