横須賀は田浦1丁目公園の周りに、ループ状に旋回しながら登る珍しい上り坂があります。
その坂を上り詰めて右手に行くと、かつて昭和の時代に開かれたであろう市営月見台住宅という風雅な名前が付けられている団地群に出ることができますが、ここが今回の物語の舞台となります。
団地といっても特別に高い連立住宅の建物があるわけではありません。
ここには今なお昭和の時代を象徴するような長屋がたくさん並んでいました。
そういえば、このお話には関係ないですが昭和の末期に大人気であった漫画「ハイスクール!奇面組」のヒロインであった河川唯ちゃんの住まいも長屋だったことを思い出します(アニメ版では一般的な一軒家とされていました)。
これらの長屋は、立地の不便さもあってか現在は空き家となっているところも多いようです。
ここは、団地をつくる前は東京湾をのぞむ一帯の農耕地だったそうです。
この丘陵の上の部分を、昔から 「城ノ台」と書いて「しろんだ」と読ませ、この辺りはかつて城郭や館のようなものがあったところと伝えられているところですが、これといって発掘調査が行われたわけでもないので口伝の域を越えません。
その城郭の主は鎌倉幕府の重臣であった安達景盛といわれています。
景盛は早くに先妻を亡くしたようですが、そのいっぽうで京で白拍子(舞の名、それが転じて白拍子を踊る女)をしていた唐衣という女性を妾としていたといいます。
ある日、景盛が城の台の館で唐衣に琴を弾かせて観月の宴を催していたことがありました。
琴の名人とされていた唐衣でしたが、その日に限って琴がどうもうまく弾けません。
これはおかしいと思っていたところ、見慣れない小姓が一人しゃがんで聞き耳を立てているのが唐衣の目にとまります。
勘の鋭い唐衣は立ち上がって、脇の小箱に納めてあった針を持って小姓の服の裾に刺したところ、小姓は悲鳴をあげてたちまち白狐に姿を変え、その本性を現したのだそうです。
実は、この白狐はこの地に100年は暮らしている老婆狐で、あまりに琴の音が美しく聞きほれてしまったこと、悪気はないと再三にわたって許しを乞うたのですが、宴の場を汚したと激怒する景盛により白狐は一刀両断、首をはねられてしまったのです。
この年老いた雌の白狐の遺骸は打ち捨てられたたものの、これを恨みに思ったのが夫であった雄狐です。
景盛はたいそう恨まれて、それが原因か分からぬがその後は景盛の息子、泰盛の代には政争に敗れ安達氏は断絶してしまう事となります。
この狐の怨念はたいそうな噂となり、狐の怨念を恐れた里の人々は白狐の首が葬られた場所に祠を建ててねんごろに慰めました。
これは後に白狐稲荷と呼ばれるようになり、現在でいう田浦町2丁目28番地付近のシイの大木の根元にあったとされていましたが、宅地開発の波には抗えずに盛福寺が開山した際に鎮守として現在の位置に移されたのだそうです。
現在、この白狐稲荷は鎮守として崇敬を集め、田浦稲荷とも呼ばれています。
この他にも白山神社(歯の神)、天神社(勉学の神)、弁財天(福富の神)も祀られており、祠も綺麗に整備されて参詣に訪れる人が後を絶ちません。
では、このあわれな白狐の胴体はどうなったのか。
お寺の方のお話によれば胴体の方もきちんと祀られて、現在でも判官城(または半ケ城)の城跡の下にねんごろに葬られているそうです。
現在はその場所に稲荷社が建てられており、今なお泉稲荷として残されていますが、この場所を見つけるのには大変苦労しました。
いまはこのアパートの裏手の急斜面の茂みの中に、ひっそりと眠っています。
現在、この場所は私有地となっており勝手に入ることはできませんが、特別にお願いしてお参りさせていただきました。
訪れる人もあまりなく、その存在さえも徐々に忘れられていくのでしょうか。
まだ新しい稲荷の祠は、だんだんと落ち葉に埋もれていこうとしています。
藪の下から眺めると、こんな感じです。
分かりますか? 中央よりの、少し赤くなっているのが泉稲荷さまの祠です。
草木が少ない冬ですらこの有様ですから、夏場ともなると完全に草木に覆われて近寄りがたくなるでしょう。
もちろんというか、当然というのも悲しいですが、ここにお稲荷様が祭られていることも、それが泉稲荷という名前であることも、その由来をも説明する看板などはなにもなく、言われてやっと気づくかどうかといった感じでひっそりと佇んでいました。
また、この泉稲荷の近くには崖に深く穿たれた穴がいくつか残されていました。
あえて中に入ることはしていませんが、この近辺には日本軍の砲台や洞窟陣地が数多く作られたことから、それに付随するものかもしれません。
このように、静かで人気の少ない里にも、掘り下げてみればいろいろな伝説が残され、また崖の横穴のように別の時代の生き証人となるものがいくつも残されています。
全国47都道府県の中でもあまり広くない神奈川県ですらそうなのですから、日本全国を見渡してみるとどれだけの民話や歴史が隠されているのか、と想像もつきません。
いま、この高台に立ってはるか眼下に横須賀の海を眺めるとき、かつてここに館があって武者たちが月を眺めては琴の調べに酔いしれていた情景と、ただ琴を聞きたかっただけの狐のあわれなる胸の内が響いてくるようで、ここにも歴史というものの非情さとまざまざと見せつけられるのです。