みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

虫歯の痛みを自ら引き受けた 鳥山の乞食地蔵(横浜市港北区)

横浜市港北区、岸根交差点から小机へと向かう道が横浜上麻生道路で、環状2号線と交差する重要な生活道路です。

 

又口橋の信号を越えてすぐに鳥山川を越えますが、この鳥山川を少し下ったところの堤の横に小さな地蔵堂と松の木が見られます。

 

これは、地元では「乞食松地蔵尊」と呼ばれて大切にされているお地蔵様です。

 

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この地蔵堂に祀られているのは、一体の地蔵菩薩坐像で天保13年(1831年)10月の陰刻が脇にありました。

 

天保13年というと江戸幕府第11代将軍、徳川家斉公のころです。

 

地蔵尊像の足元には「無縁塔」と彫られ、うつむいて固く閉じられた目からは、どこかしら哀愁を漂わせているような気がします。

 

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この地蔵尊は昭和39年までは、大きな松の大木とともに違うところにあったそうです。

 

しかし、川の護岸改修で松は切られて地蔵堂は現在のところに移り、そのわきには二代目とされる地蔵松が植えられています。

 

この乞食松は天保4年(1833年)に発生した天保の大飢饉でさまよい、どこの誰とも分からぬままに亡くなった数多くの無縁の死者たちを埋め、その墓標の代わりとして植えたものだったそうです。

 

そのために死人松とも呼ばれていましたが、この松の木は決して枯れることがなく、周りの松の木がマツクイムシによって被害を受けた時も、この松だけは被害を受けなかったということです。

 

そのため長く残り、横浜市の保存木に指定されていましたが時代の流れにはあらがえなかったようです。

 

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また、地蔵尊についても伝説が残されています。

むかし、どこからかやって来て、この辺りに住み着いていた一人の乞食がいました。

 

ある日、乞食はあまりの空腹と歯の痛みに耐えかねて亡くなってしまいます。

その亡くなる前日、「これと同じ苦しみに悩む人はここに来なさい。そうすれば、その痛みはすべて私が引き取ってあげよう」と言い残したまま息を引き取りました。

 

それから、大飢饉もあり鳥山村と岸根村の協力でこの無縁地蔵尊が作られましたが、この地蔵尊に乞食の霊が移ったと信じられたのか、歯痛に霊験あらたかであるとして、多くの人が訪れたという事です。

 

特に、子供が虫歯で苦しんでいる時は、このお地蔵様の足元の小石を借りてきては虫歯がある所の頬をさすると、嘘のように痛みが取れたのだという言い伝えが残っています。

 

そのお礼には、倍の数の石と、おにぎり、お線香、お花を供えて返す慣しであったという事です。

 

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時は流れ、時代は平成から令和へと変わったいま、目を見張るような医学の発展により、もはや乞食地蔵尊には石を供える習慣は途絶えてしまったのか、そのお足元には一つの石も見つける事はできませんでした。

 

しかし、鳥山川から鶴見川へと流れ込む静かな川面の輝きは今も昔も変わる事なく、時代の流れと人々の営みの有為転変を静かに見守っているかのようで感慨もひとしおです。