小田急線の鶴巻温泉駅から駅前の通りを南下していくと、ほどなくして延命地蔵尊前という交差点にさしかかる。
このあたりは落幡といって、以前紹介した「中将姫」が織り上げたという大きく美しい幡(旗)がこの地に舞い降りたという伝承が、落幡という地名の由来であると言われている。
また、別の説によれば平安時代から鎌倉時代にかけて活躍し、鎌倉幕府の御家人に名を連ねた善波太郎重氏が、この地で幡曼荼羅という妖怪を射落としたという伝承が地名の由来になっているという伝説も残されており、そのあたりはまた改めて研究していきたいところである。
さて、この延命地蔵尊前の交差点を入っていくと、目の前の分かりやすいところにあるのが落幡延命地蔵の地蔵堂である。
この中に鎮座されているのは石でできた地蔵菩薩の坐像であり、高さは実に3.3メートルとなる巨大なものである。
右手には錫杖を持ち、左手に宝珠を持つそのお姿は衆生済度(しゅじょうさいど)といって、生きとし生けるものすべて=衆生を仏道によって迷いから救済し、悟りを得させんとする=済度という、大いなる慈悲の心を表しているのである。
この巨大な地蔵尊が建立された詳しい経緯は詳らかではない。
今から250年以上も前の江戸時代中期、一財を成した資産家が一念発起して私財を投じて建立したものの、あまりにも大きすぎたために運搬することが出来ずにこの地に据え置かれたものであるという。
そのあまりの大きさに誰もが成すすべもなく、永らく風雨にさらされて放置同然の状態であったが、旧大住郡 落幡村 字受地と宮ノ下の十数軒の家の住民たちが見かねたのか地蔵講を成すこととなる。
それから地蔵講が中心となって「落幡のお地蔵さま」として日々の供養を行うようになり、その伝統は今なお受け継がれて同地区の住民により代々守護されているのであるという。
この地蔵尊は、いつしか親しみを込めて延命地蔵尊と呼ばれるようになり、特に長寿・安産・厄除けに霊験あらたかであるとして、今なお多くの人々の信仰を集めているという事である。
時代が平成から令和へと移り変わった現在においても、毎年8月23日の縁日には各種の法要が昔ながらの手法で執り行われ、多くの催しもありたいへんな賑わいを見せるという。
いま、この落幡延命地蔵尊の前に建ち、数珠を片手に静かに合唱礼拝するとき、遠くいにしへの人たちが地蔵尊にささげた一途な信心と、地蔵の大きさは徳の大きさとでも言わんばかりの豪放な商人と、見上げんばかりの巨岩に張り付くようにしてこの地蔵尊を掘り上げた熟練の石工の姿が目に浮かぶようである。