JR鶴見線の国道駅と、京急線の花月園駅に挟まれたあたりは、閑静な住宅街を線路が横切るところで、JRや京急、貨物線などが入り乱れるようにして走っている。
そんな住宅街の一角、線路脇にひっそりと隠れるようにして建つのが、この鉄道の街ならではの由来を込めた花月地蔵尊であり、その設立は昭和41年6月とされているから、このような路傍の石仏としては比較的新しい部類に入るのである。
小さな地蔵堂に入った新しい地蔵菩薩の立像は、真新しい赤い帽子と赤い衣服を身にまとい、きちんと眼球まで描きこまれたその表情たるや、どこか物憂げに見える上に虚空を眺めるようにして一定しないような視線が、この世に残された者の物悲しさを代弁しているかのようであった。
この地蔵堂に掲げられた説明書きによると、
昔からお地蔵様とは生きてる方々の交通災難のない様、街角や踏切りに建てお守りする地蔵菩薩です
思いがけない交通事故に愛児を失った不幸は耐えられないものですが、、その追善供養のために又再びこの様なあやまちを繰りかへさない様にと多くの人々の悲願もこめられてます
此の様に私達は信仰の有るなしにかゞわらず生活の中で深い関係をもって居ります
せめて年一度の命日に手を合せて線香を立て交通災難のなき様お願し亡くな方々の御冥福をお祈り致しませう
とあり、その脇には「花月園踏切殉難者名」として、3才から40才までの11人の名と年齢、命日と思わしき日付が列挙されているのである。
また、発起人の名前も張り出されており、これによれば昭和38年4月に張られた物のようで、これにより、この花月地蔵尊は近くの花月園踏切において不幸にも命を落とした人たちを慰めるために建立された物であることが理解できるのである。
近くにある花月園踏切は、海側に京浜急行、山側にJRの線路が通るが、JRも東海道線、横須賀線、貨物線、湘南新宿ラインなど走る本数が多いことから、慢性的な「開かずの踏切」として有名な踏切でもある。
一度、遮断桿が降りたら20分も30分も開かない。
やっと開いたと思ったら、すぐに鳴り出してまた遮断桿が降りてしまう。一度渡り始めたら、JR側の線路には中洲がないので一気に渡りきらねばならないが、老人や子供には間違いなく無理難題な話であり、実際にこの踏切では幾度となく痛ましい人身障害事故が発生しているという。
鉄道に轢かれてこの世を去るというのは、あまりにも痛ましい。
まるで人間の形をしていないものも多く、そのような形になってしまった本人としても、そのような姿に変わってしまった肉親としても、その悲しみはいかばかりであろう。
もしかしたら、この地蔵尊の祠を建てた有志の方々の中にも、このような辛苦の経験をされた方もいるのではなかろうか。
いま、この狭く細い踏切で、レールと車輪をきしませながら通り過ぎていく列車が通るたびに、揺れる地面とけたたましい振動が再現され、この地で命を落としてしまった数多くの方々の無念と慟哭を代弁しているかのようである。