京浜急行の、浦賀へと向かう本線(なかば支線扱いであるが)と、三崎口へと向かう久里浜線が分岐するところ、大津の里は潮風が香る海沿いの町で、普段は実に閑静な住宅街である。
国道134号線、ローソン 横須賀大津店の脇を入っていく道がかつて浦賀道と呼ばれ、江戸時代に奉行所が浦賀に移転してくると往来の多い街道であった。
その中でも、砂坂と呼ばれたゆるい坂が現在も残されており、おそらく海から吹き付ける海砂がいつも堆積する坂であったから、そのような名前になったのだろうと推測できる。
この砂坂のわきには、現在もなおコンクリートブロック造りの立派な地蔵堂が立っているが、今なお香華や生け花が絶えることなく、現在でも信仰を集めている「大津の砂坂地蔵堂」と呼ばれているのである。
この地蔵堂の中には、主たる地蔵尊が二体祀られており、その足元には玉砂利が敷かれ、また大小さまざまな石仏が祀られているのを見ることができるが、これは後日になって一つ、また一つと周囲から集められたものであろうか。
このうち、向かって左側が砂坂地蔵尊である。前述したように、この地蔵堂の前の坂からつけられた名であり、またイボ取りに霊験あらたかとして「いぼとり地蔵」とも呼ばれている。
そのお顔は黒く磨かれ、おそらく多くの人々から撫でられて親しまれてきたのだろう。
また、右手に見えるのが「白須川地蔵尊」といって、かつて近くを流れていた白須川の河原で、家屋を新築するべく掘ったところ土中より出土されたものであるという。
現在、この地蔵堂のすぐ脇を流れていた白須川は埋め立てられて、小さな橋の欄干だけが残されているが、大正時代まで流れていたこの白須川には清水が流れ、満潮時にはこの先まで潮が遡上してきたと言われている。
この二体の地蔵尊の足元をよく見ると、そこに積まれた玉砂利はまるで往時の白須川の名残を今に伝えているようで、往時の姿を偲ぶことができる。
いつしか地蔵堂の中には仏像が増え、ことに一石に二段彫りした六地蔵の石仏は子育て地蔵としても信仰され、日々詣でる人が絶えることはない。
いま、この地蔵堂のわきには
すなざかを のぼりてみれば ぢぞうそん
きくにうれしき ねんぶつのこえ
ありがたや たまのすだれを まきあげて
なむあみだぶつ きくぞうれしき
はらのさと はるばるこせば すなざかの
はなのみやこも ちかくなるらん
という御詠歌が飾られ、かつてこの砂坂地蔵尊を詣でた人々が朗々と歌い上げたであろう往時の姿を、いまここに伝えているのである。