みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

人々の栄枯盛衰を見続けてきた 三ッ沢下町の延命地蔵尊(横浜市神奈川区)

横浜市営地下鉄三ッ沢下町駅からすぐ近く、島田橋の交差点から少し北側に入ったところの道のわきに小さな地蔵堂が立っているのが見受けられるが、これは地域では延命地蔵尊と呼ばれて大切にされている。


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見てみればコンクリート造りの立派な地蔵堂に、卍の御紋があしらわれて「延命地蔵尊」の銅看板もまぶしく、常に新しい花が絶えることなくよくお世話していただいているようである。


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かつて、このあたりには小川が流れていた。

小川というか、農業用の用水路というか。それほどの川であり高度経済成長の時期に合わせるようにして埋め立てられてしまったが、かつてこのあたりには島田橋と呼ばれる橋がかかり、地域の交通のかなめとなっていたのだという。

 

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かつて、川は村の境となっていた例が数多くあり、それは今でも変わることなく続いているのであるが、この地域の武蔵国橘樹郡三ツ沢村の人たちは、その頃流行の悪疫で亡くなった子供の供養と、村人の健康長寿・生活安穏を祈願して、またほかの村から疫病が業魔が来ることを防ぐべく、村の入り口である島田橋のたもとに延宝8年(1680年)に建立された。

 

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最初は大地蔵と呼ばれていたが、戦後になって藤沢の遊行寺によって、延命地蔵と名付けられたのであるという。

 

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延宝8年といえば、天下の江戸の将軍様が第4代から第5代に代替わりされたころであり、ようやく民衆が天下泰平を実感するようになったころであろう。

 

戦後には人心ともに荒廃し、誰もが日々の糧を得るのに精いっぱいだったことから、河原に埋もれるようにして荒れ果てていたが、経済も人々の暮らしも安定してくると、ふたたび信仰心の篤い人々によって講が組織されて、真新しい地蔵堂まで建てられて再建されたのだという。

 

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いま、このあたりを流れていた小川は埋め立てられて遊歩道に代わり、そこに橋が架かっていたとは思いもよらないが、少なくともバブルが崩壊するころの平成の初期まではここに川が流れていたはずで、当時自転車に乗って学友と遊びに来たことを思い出す。

 

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いま、この地に立つと古い町なみは取り払われて新しい家が建ちならび、小川も橋も姿を消して往時を偲ぶよすがもない。

しかし、わずかに残された川の流れそのままの遊歩道と、遊歩道に寄り添うようにして立つ古き地蔵尊のお姿は変わることはなく、その前に立って静かに手を合わせれば、この小川で遊んだ幼きころが思い起こされて、うたた懐古の情に駆られるのである。