みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

民衆の信仰いまなお篤い 和田町の和田地蔵尊(横浜市保土ヶ谷区)

相鉄線和田町駅は、駅前に帷子川の静かな流れを望み、その帷子川を渡れば昭和の香りを色濃く残す駅前商店街が伸びて、人通りも多く活気に満ちた街である。

 

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駅前の橋を渡ってすぐの所には風情のある居酒屋が何軒かあり、それらに挟まれるようにしながら、いつも華やかで供花の絶えない地蔵堂がある。

 

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この地蔵堂は駅前の橋から望むことができるが、これは地元では「和田地蔵尊」と呼ばれ、また単に「地蔵さま」という愛称でも広く呼ばれて、辻の石仏でありながら今なお地域の信仰を深く集めている珍しいものである。


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この和田地蔵尊は、元禄2年(1689年)に建立されたもので、元禄といえば徳川五代将軍綱吉公のころで、赤穂浪士の討ち入りで有名な忠臣蔵も元禄の末期である。

そう、降った雪の溶けきらぬ深夜に陣太鼓をドン、ドン、ドン・・・と鳴らしながら赤穂浪士が吉良邸に打ち込んだ時、この和田地蔵尊はすでにこの地にあったのであるから、歴史というものの悠遠さを今更ながらに噛み締めるのである。


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さて、話を戻してこちらの和田地蔵尊は一見して阿弥陀仏に見えてくる。

阿弥陀仏型の地蔵尊」とされているし、地元では和田地蔵尊と呼ばれているから地蔵尊なのだろうが・・・なんとも不可思議な地蔵尊である。

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ここ和田町では、昭和初期までは他地域に比べて庚申講と庚申信仰が根強く残り、庚申講も盛んに開かれたという。

現在でもこの和田地蔵尊は地元住民の間で「地蔵様」と親しまれ、地蔵菩薩の命日とされる8月23日~24日には地元の商店街が中心となり、盛大に「地蔵まつり」を開催している。

祭りは24日に最高潮を迎え、真福寺の住職を招いては供養を行っているのだという。

 

みうけんは数多くの石仏を見てきたが、これほどまでに地元の住民に今なお愛され、大切にされているお地蔵さまはとても珍しく感じてしまう。

みうけんもささやかながらお線香をあげさせていただいた。


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地蔵堂の脇にはたくさんの絵馬が奉納され、多くの人たちが思い思いに祈願をかけている。現代人たりとて、いまなお信仰心が失われたわけではないという事をまざまざと見せつけてくれているのである。


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地蔵堂に香る線香の煙とさわやかな秋風は、かつて江戸時代と言われたころからも少しも変わることなくこの地に吹き続け、時代は変わり令和となった現代でも帷子川の流れは変わることなく続いている。

その川べりには可憐なるオシロイバナの花々が風に揺られて、橋を渡る親子やお年寄りたちを優しく、静かに見守っているかのようである。


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いま、この地蔵堂の前にたち、格子の向こうに静かにたたずむ和田地蔵尊に手を合わせて礼拝するとき、清らかな線香の香りが風に乗ってこの街にひろがり、それがあたかも大慈大悲の地蔵菩薩の慈悲の心が知らず知らずのうちに町を歩む衆生に広がっていくようで、ここにも言いようのない感慨を覚えるのである。