JR相模線の線路と並ぶようにして流れる鳩川は、古くから人々の暮らしに密接してきた川です。
そのため、この流域には昔からいろいろな逸話が残されています。
ある日、南橋本駅と上溝駅のちょうど中間あたりの「てるて幼稚園」の近くを原付で走っていたとき、ここ上三谷橋をたまたま通りかかりました。
橋を渡るとすぐわきには道祖神の簡素な石碑が残されており、その脇の階段を上っていくと小さなお堂が見えてきます。
そのお堂は一見してどこにでもあるような簡素なお堂でありながら、その扉の格子戸にはたくさんの布がかけられているのが実に珍しく、興味をそそりました。
よくよく見てみれば、これらのほとんどは赤ちゃんの首にかける「よだれかけ」でした。
新しいもの、古くなったものもあれば、赤ちゃんの名前や住所が書かれたもの、絵が描かれたものなどさまざまです。
中にはお子さんの健やかな成長を願う一言が書き込まれているものもありました。
中には、2体のお地蔵さんが並んでいます。
このお堂の脇に建てられた説明看板によれば、これは向かって右側が「夜泣き地蔵」で明和4年(1767年)のもの、向かって左側が「子育て地蔵」で正徳2年(1712年)のものだそうです。
どちらもたいへんに古いものですが、崩れもせずに綺麗に残っています。
むかし、子供の夜泣きに困った親が「よだれかけ」に子供の名前を書いて奉納し、願をかけたところ不思議と夜泣きはやんで、その後もすくすくと成長したという言い伝えがあります。
その話が徐々に評判になり、また今でも語り継がれ、わが子の健やかな成長を願ってよだれかけを奉納する風習が今でも根付いているという事です。
いま、科学文明がすっかり発達した中で、人々の信心というものは徐々に薄らいでいるなと感じます。
今、各地のお地蔵さんには赤いちゃんちゃんこや帽子が奉納されたりしていますが、それらの多くは恐らくはお年寄りによるものであり、10年後20年後には徐々に見られなくなっていくのかもしれない事を思うと、なんだか寂しいものがあります。
しかし、この子育て地蔵尊と夜鳴き地蔵尊に奉納されたよだれかけはまだまだ新しく、この時も小さなお子さんの手を引いた若いお母さんが手を合わせていくのを見かけました。
どんなに時がたとうとも、お地蔵様の広大な智恵と慈悲は、いまなお全ての子供たちにまんべんなく向けられている。
そう信じて手を合わせる人たちが、こうして今でも受け継がれている事を願ってやみません。