みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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事故の犠牲者を慰める 踏切脇の桜株観音(大和市)

大和市福田、桜ケ丘駅南側の小田急線の線路と中原街道が交差するところは通称「桜株踏切」と言われています。

 

この辺りの中原街道の交通量は多く、頻繁に電車が通る小田急線の踏切とぶつかるところから大和市では有名な渋滞スポットとなっています。

 

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さて、この踏切は桜株踏切といいますが、それはもともとこの界隈が桜の名所であったからです。

 

このあたりの小字を桜株と言って、今よりもかなりたくさんの桜の木が植えられていたそうですが、宅地化の進んだ今となってはその面影はわずかしか残されていません。

 

この桜株踏切の脇には少し開けた公園のようなところがあり、立派な十一面観音が祀られているのを見ることができますが、これこそがかつてこの地で発生した悲惨な踏切事故を今に伝える生き証人だというのです。

 

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今から遡ること90年も前のこと、昭和11年10月23日のことです。

 

この日、深谷村での秋祭りと大和村での小学校の運動会が盛大に開かれて、多くの人たちが集まっては賑やかな1日を楽しみました。

 

その帰途、当時はまだ珍しかった自動三輪車に子供たちを乗せて走る最中、この桜株踏切を渡ろうとしたところに運悪く小田急江ノ島行きの電車が衝突します。

 

結果、耳を切り裂くような大音響の果てに三輪自動車ごと跳ね飛ばされた児童ら11名が即死、2名が重症という大惨事を巻き起こしたのです。

 

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この事故は、一説には日本で初めての自動車による踏切死亡事故であるとすらされています。

 

それまではモータリゼーション化もまだまだ遠い時代のことですから、自動車での踏切事故というものはさして一般的ではなく、その恐ろしさというものはあまり認識されていなかったのでしょう。

 

この事故を契機に、近隣集落の有志が集まって事故の防止を呼びかけるとともに浄財を募り、また熱心な慰霊碑設立運動が実を結んで、翌年の昭和12年には綾瀬村(当時)の報恩寺住職の御教導により、立派な十一面観音がこの地に建立されたのです。

 

先ほども書いたように、この事故では11名の尊き命が犠牲となりました。

その11の数を意識していたかどうか、この桜株観音様は十一面観音さまであることが印象的でした。

 

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十一面観音さまというのは、観音さまの形態の一つで十一の顔をもっているのが特徴で、頭部の正面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を頂いています。また、

 

 ・頭上には悟りを開いた「仏面」

 ・穏やかな表情で衆生に慈悲を施す「菩薩面」

 ・険しい表情をもって仏道に逆らう衆生を無理やり仏道へと引き入れる「瞋怒面(しんぬめん)」

 ・牙をむきだしながらも行いの良い衆生を励ます「狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)」

 ・悪にあきれ果て悪をあざ笑う「暴悪大笑面」

 

という表情を使い分け、いろいろな立場にいる衆生、善悪に揺れ動く衆生を励まし仏道に引き入れるという大いなる慈悲をもった菩薩さまなのです。

 

その結果として、十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを取り去り、迷えるもの、逆らうものも含めてまとめて清らかな仏道へと案内する役割を持つことから日本では根強い人気がある観音さまです。

 

神奈川県でも横浜の弘明寺、鎌倉の杉本寺や長谷寺、など歴史のあるお寺に多くお祭りされています。


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この辺りは桜株という地名であり、かつては桜の名所であったことは先にも書いた通りですが、もともと大和市内には桜が多く、それにちなんだ地名が多くあります。

 

特に、この踏切がある桜株は室町時代に小栗満重という武将が謀反の疑いをかけられて三河国へと逃げていくさなか、乗っていた馬に引っかかっていた桜の枝が地面に落ち、そのまま成長して大きな桜の木となったのが地名の由来であるという伝説も残されています。

 

その後、時代は流れて昭和27年に桜ヶ丘駅が開業する際、一度は「桜株」が駅名候補だったそうですが、この踏切事故による悲しい思い出を思い出したくないという近隣住民の要望を受けて「桜ヶ丘駅」という名前になったのだということです。


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いま、月日は流れすぎて事故の記憶は徐々に薄れつつあるものの、桜株の観音さまはものを言わないままに事故の現場となった桜株の踏切を見守りつづけておられます。

 

また、いつも飲み物やお花が手向けられては犠牲者の菩提を弔う方も後をたたないようで、ここにもはるかなる昔日の思い出がいまに受け継がれているさまを感じるかのようです。

 

 

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