JRと京王線の橋本駅の西側、橋本郵便局前のバス通りを西に進み、「相原薬局」の角を右に折れて住宅街の中に入っていきます。
すると、すぐに住宅街の中にフェンスに囲まれた一角があり、その中に松の木が植えられているのを見ることが出来ます。
この時に使用した相模原市の歴史資料には、
二本松の西、原宿へ行く鋪装道路を相原部落へ向って右に折れると、畑の中に小さな塚がある。これが「めいめい塚」と呼ばれている塚である。
とあるので、かつてこのあたりもどこまでも続いた農村風景だったのでしょう。
現在はすっかり住宅街となり往時の面影はなく、また「小さな塚」もすっかり平坦になってしまい、「めいめい塚」と書かれた看板がかろうじて往時の民話を今に伝えんとしているかのようです。
この「めいめい塚」がどのような理由でつけられた名前であるのか、その由来については、いろいろな伝承があるそうです。
ひとつめは、「めいめい井戸」を掘った土を、盛り上げて塚としたものであろうというもの。
むかし、現在のように直線の井戸を深く掘るのが困難だったために、大きなすり鉢状の穴を掘り、その周りにらせん状の道を作った「まいまい井戸」というもので、それがなまって「めいめい」になったものと言われています。
しかし、そのような井戸は今はありませんし、昔この近くにあったのかどうかも分かりません。
もうひとつは、単純に「死者をめいめい葬った塚」だから、「めいめい塚」というのだという説もありますが、これも墓石がないなど、確証に乏しいようです。
さて、この「めいめい塚」の看板をよく見ると、以前紹介した記事にも出てきた相模原市の「でいらぼっち」伝説に結び付いた伝承も残されているのも分かります。
こちらのお話では、「大太郎法師(でいたろうほうし)という巨人がはいていた足駄のの歯の間にはさまった土が落ちてできた塚だとも伝えられています」とあり、このような伝承がいつ、どのようにして、誰の手によって創られたのかは定かではないものの、やはり相模原市あたりの人にとって、「でいらぼっち」は身近な存在であるようです。
今、この場所には塚らしい塚も見ることが出来ず、ただ松の木が生えているだけの空き地にしか見えません。
しかし、時代と共に迫り来る宅地化の波にも押されることもなく、よくこのようにして残されているものであるな、と地主の方の心意気に感動し、思わずシャッターを切らせていただいたのです。