三浦半島の小松ヶ池公園の西方に、京急線の線路をまたぐ跨線橋があります。
その跨線橋を渡って北へ200メートルあまり原付を走らせると、やがて畑ばかりのところとなり、そのあたりから西へ入っていく狭い下り坂がありました。
これは地図を見るに、安楽寺に至る道のようです。
とても狭く、車では通るのは大変そうな道です。
しかし、このような道でもスイスイ入れる原付の機動力は本当に素晴らしいものがあると思います。
なんとなく気になったので入ってみた道ですが、そこに庚申塔が4基祀られているのを見つけました。
どれもが江戸時代の物で、当時は体の中に住むとされる三尸(さんし)虫が人間の悪い行いを記録し、庚申の日の晩に閻魔大王に告げ口しに行くと信じられていたことから、夜に虫が出ていけないように夜通し起きていたという民間信仰がありました。
その記念に建てられたのが庚申塔で、三浦半島には他地域に比べて実に多くの庚申塔が残されています。
その中でも、ここに残された4基の庚申塔のうち、上部に笠が乗せられた庚申塔には雲の上に乗った桃の実が彫られているのが実に印象的でした。
中国からやってきた神様で、人間の体内にいる三尸(さんし)虫を押さえつける力があると信じられており、その下には日光東照宮でも有名な見ざる、言わざる、聞かざる(順不同)が彫られています。
ここの青面金剛のお顔は崩れてしまい、その表情は明らかではありません。
みうけんも数多くの庚申塔を見てきましたが、桃の実が描かれたものは初めて見ました。
かつて、桃には霊力があるとされて災難を防ぎ、魔を退ける効果があるとされていました。
そのために神聖なものとして扱われ、ことに農家では増産と福守の守護神として盛んに信仰されたのだと言います。
そのような経緯で、ここにも桃が彫られたのかもしれません。
昔も今も、農業と漁業に生きる三浦半島らしい造像で、一見の価値があるものだと思います。
現在はこの道は農道となり、細い道で通る人も多くありません。
しかし、この道もかつての街道の脇道として、また安楽寺への参詣道として多くの人が通ったとされています。
その人たちは、霊験あらたかとされる桃に手を合わせ、今後の平安を願ったのでしょうか。
また、ここで畑を耕してきた人々が、豊作と除魔を願って毎日手を合わせたかもしれません。
時代は流れて、庚申信仰はすっかり廃れてしまいましたが、現代に至っても三浦半島には数々の特徴ある庚申塔が残り、かつての人々の暮らしと信仰を今に伝えているのです。