みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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珍しき庚申塔 青面金剛を持ち上げる邪鬼の姿(三浦市)

三浦市三崎口駅の南側の「三戸入口」の交差点から、三戸海岸へと向かう「御用邸道路」へと原付を走らせていきます。

 

田畑のなかを西へと向かっていく途中、御用邸道路は南に向かって大きくカーブを描きますが、その路傍に4基の庚申塔と1基の青面金剛像が祀られているのを見つけました。
 

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今まで御用邸道路は何度も往復してきた道です。

当然、この庚申塔群にも気付いていたはずですが、今回はなぜか手招きでもされたかのように気になったので、原付を停めて立ち寄ってみました。

 

庚申塔とは、かつての民間信仰に基づいたものです。

体の中に住むとされる三尸(さんし)虫が人間の悪い行いを記録し、庚申の日のs晩に閻魔大王に告げ口しに行くと信じられていたことから、夜に虫が出ていけないように夜通し起きていたという民間信仰がありました。

 

その記念に建てられたのが庚申塔で、三浦半島には他地域に比べて実に多くの庚申塔が残されています。

 

まず、向かって左端の庚申塔

明治16年1月と脇に陰刻されていますが、端正な顔立ちの青面金剛像が印象的です。

六臂の腕のうち、4本は簡素に陽刻されたものです。

 

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左から2番目の庚申塔

こちらの青面金剛像は他の庚申塔とは少々違う顔立ちの物です。

万延元年と陰刻されており、万延元年とは1860年、江戸幕府の第14代征夷大将軍でありながら21年の短い生涯を終えた徳川家茂公の治世のころです。

踏みつけられた邪鬼が大きな口を開けながら苦々しくしているのが印象的です。

 

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左から3番目の庚申塔は、いつのものかは分かりません。

だいたい、いつごろ建立されたものであるのかが脇に陰刻されているものですが、この庚申塔にはありませんでした。

 

六臂の青面金剛は、先ほどみた左端のものとよく似通った特徴をもっています。

その左手にはしっかりとショケラ(半裸の女性)をつかんでいます。

 

このショケラという存在が何であるのか調べてみたことがありますが、三尸(さんし)の虫そのものという学説もあれば、仏教の宿敵であるヒンズー教のシヴァ夫妻で、青面金剛に踏みつけられているのがシヴァ神、ショケラがその妃という学説もあり、その答えは出ていないようです。

 

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その中でも特に興味を持ったのがこちら。

宝暦5年(1755年)4月、は江戸幕府第10代将軍 徳川家治公の時代のものです。 

 

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ふつう、青面金剛に踏み潰される邪鬼は四つん這いになり、苦々しい顔をしながらもおとなしく踏みつけられ、すっかり観念しているさまが描かれるものです。

それは、今までに見てきた3体の庚申塔でもそうでした。

 

しかし、こちらの庚申塔の邪鬼は青面金剛の足を逆に持ち上げてしまい、潰されまいと必死の抵抗をしている様が生き生きと描かれた非常に珍しいものです。

青面金剛も、どこかしら悔しそうな顔をしているように見えます。

 

普通は下の段に一列に並ぶ、「見ざる言わざる聞かざる」も邪鬼を囲むようにしています。

邪鬼の腹が赤く塗られているのは、建立当時の色彩でしょうか、後に塗られたものでしょうか。かつては綺麗に色彩された美しい青面金剛像だったのかもしれません。 

 

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このように、三浦半島にはどこにでもある路傍の石仏ですが、そのもっとも代表的な物が馬頭観音と、このような庚申塔なのです。

 

これらは、どれも表情が豊かで、その時代に生きた人たちと石工たちの息遣いが今にも聞こえてくるかのようです。


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これらの庚申塔は、地元の方々から大切にされているのでしょう。

この時も綺麗な花がお供えされて、また釜飯の器を利用した香炉には真新しい杯が積もっていました。

 

いま、この庚申塔の一体一体に香華を手向けてそっと手を合わせると、かつてこの辻を往来していった里人たちが各々足を止めて、それぞれの無病息災や安泰を願ったさまが目に浮かぶようで、ここにも昔日の思い出が俄かに思い出されてくるかのようです。

 

 

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