海老名市の国分というところに、臨済宗建長寺派の瑞雲山 龍峰寺(ずいうんさん りゅうほうじ)というお寺があります。
ここにはかつて「清水寺」(せいすいじ)というお寺があったために、その名前は「清水寺公園」などの名前となっています。
この清水寺は、国分の里人からは「お観音さま」「水堂」と呼ばれて親しまれていました。
このお寺がまだ清水寺だった頃か、それとも龍峰寺に変わってからのことか、文献によって意見が違うのでなんとも言えませんが、このお寺の仁王さまには田の草仁王様というお話が残されています。
それによると、国分の向原に老婆と娘が住んでいました。
この娘は老婆の本当の子ではなく、いつも老婆から辛くあたられていたといいます。
ある日のこと、老婆は田の草とりをするよう、また全て取り終えるまで帰ってこないように、と命じたのです。
しかし、すでに日は傾き、誰がどう考えても陽が明るいうちに草を撮り終えるなど、無理な話でした。
それでも娘に許された答え方は「はい」だけです。すぐに娘は出かけ、日が暮れようとも脇目も振らずに懸命に草取りをしたのです。
一生懸命に草をとっていると、いつの間にか他の畦道の草取りが終わって綺麗になっていました。不思議に思った娘ですが、そのような事を考えている余裕はありません。
何も考えずに一心に草取りをすすめた甲斐もあって、誰もが間に合わないと思うような草取りも、意外にも夜になる頃には終りました。
なんとか草取りが早く終わったので、娘はいつもお参りしている清水寺に寄っていくことにしました。
そこで、仁王様に手を合わせて拝んだ時に、仁王様の手と足が泥だらけになっている事に気がついたのです。
そして、その足元には田んぼに生えていたものと同じ草が落ちていました。
これは、この仁王様が草取りを手伝ってくださったに違いないと言うことで、この噂はまたたく間に村中にひろがり、「田の草仁王様」と呼ばれてたいへんな評判となり、多くの参拝客が詰めかけたという事です。
いま、ここの仁王門に残された仁王様が、果たしてその「田の草仁王様」であるのかどうか、確かめる術はありません。
今となっては語り継ぐ人も少なくなり、「えびなこども風土記」などの古い文献に頼るしか往時の昔話に触れることができなくなってしまいました。
お寺の仁王門にいらっしゃるのは、正式には金剛力士像です。
全身に筋肉をみなぎらせ、憤怒の表情で他を威圧する様は、お寺に邪鬼が入り込まないようにという仏教の守神的な役割を果たし、門前の二体を合わせたものが仁王さまと呼ばれています。
仁王さまは仏教の守護神であるとともに、その厳しい像容から退魔への期待をかけられて多くの民間信仰を得てきました。
これは不動明王にも言えることですが、ことさらに日本では厳しい顔をされた仏像が人気があるのか、多く造像されているように思います。
全国で信仰を集める不動明王、毘沙門天、阿修羅、また庚申塔に彫り込まれた青面金剛などは皆厳しい顔をされています。
このような明王さまなどは、正しく生きるものを守ってくださるという民間信仰は少なからずありました。この、田の草仁王のお話もそういうところから来ているのではないかと思います。
いま、この龍峰寺の仁王門の中の仁王さまを見上げるとき、人知れずして信者を守ろうとするその大いなる慈悲を目の当たりにしたような思いがして、思わず手を合わせこうべを垂れたのは言うまでもありません。