横浜市磯子区というところは、山坂あり、平地あり、森もあれば海もあり、そして住宅街かと思えば駅前は大きく発展して賑やかであり・・・と、何でも揃ったいいとこどりの街であると思います。
横浜市では平地というものはとても少ないのですが、その少ない平地に含まれるのが磯子区の滝頭というところで、横浜市営バスの終着地ともなっているので横浜市南部では比較的なじみが深い地名でもあります。
さて、そんな滝頭の住宅街を原付で巡回しているうち、不思議にクランクしている道路を見つけました。
興味深いことに、このクランクした道路の脇には大きな木が生えており、まるでこの木を避けるかのようにして道路が敷かれているのです。
この木の根元には小さな石碑があり、無縁塚と陰刻されています。
ここはむかし、鎌倉時代のものと思われる人骨が3体(一説には5体)発見されたところだといいます。
この人骨が武士のものであったのか、それとも行き倒れになった人のものだったのかは定かではありませんが、それによって無縁の墓が建てられたという事です。
その後、幾度か開発の憂き目にあったようですが、いくらお祓いをしても工事はうまく進まず、結局この地は塚のまま残り、地図を見ても道がこのように曲がってしまったという事です。
現在、この地は開けた土地になっており、一本の大きな木が無縁塚の碑を抱くようにして立っています。
葉の形からして榎の木と思われますが、いつ頃からこうしてこの地に立ち続けているのか、これといった資料も説明板もなく、詳しいことはよく分からないままです。
いま、この無縁塚に足を止めてお参りする人もあまりいないのかもしれませんが、この無縁塚の周囲は綺麗に保たれて明るく、無縁塚という名前が示すような陰鬱で幽霊の祟りでも起きそうな雰囲気はまったくありません。
昔から、このあたりには塚が多く残されていたそうです。
経塚、月見塚、供養塚、丸山塚など多くの塚が残され、古墳であったとも武士の墓であったとも言われていましたが、満足な発掘調査もされないままに宅地開発の波に押されて消滅してしまったといいます。
磯子ではありませんが、みうけんの祖父は子供のころに近くの塚から剣を掘り出して研いでみた事があったそうです。
みうけんの住む近くにもいくつか塚があったようですし、三浦半島や県央に行けば今なお畑の片隅にこんもりとした塚が残されているのを目にします。
かつて、塚というものは人々の暮らしに密接に関わり、いつも近くにある存在だったのでしょう。
いま、この無縁の塚の前にひざまづいてそっと手を合わせていると、突如として頭上の梢がサワサワと音を立ててゆれ、何かを訴えているかのようでした。
歓迎してくれているのか、これ以上関わるなと言っているのかは知る由もないのがお互いにもどかしいところですが、確かに目に見えない塚の主と何らかの心を通わせた、そんな気がした穏やかなる水曜日の午後でした。