みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

住宅街に残された信仰の祠 青龍弁財天(横浜市磯子区)

横浜市磯子区のあたりで青龍弁財天というものがあるよ、と地元のおじさんに教えてもらいました。そのおじさんは子供の頃に行ったきりで、今となってはどこにあるかも忘れてしまったという事。

 

さっそくインターネットで調べてみたら、南区堀ノ内町1丁目の急な坂道の脇に残されているという事で、意外とあっさり見つかったのでさっそく行ってまいりました。

 

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この茂みの中に、ポツンと鳥居が残されています。

これが青龍弁財天への入り口で、敷地の中の案内看板には「昭和初期にこの土地を守る弁天様を祀るため建てられました」という簡単な一文のみが記されていました。


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もともと、横浜市というところは海が身近でありながら山がちなところでもありました。

横浜村のほとりには海に突き出た半島のような岬のようなところがあり、その場所には洲干島弁天社という弁天様が祀られるなど弁天様に縁が深い土地柄で、その洲干島弁天社は埋め立てにより今ではその痕跡はうかがい知ることができないものの関内駅近くに移転して、厳島神社として崇敬を集めています。

 

さて、昭和4年に横浜郷土史研究会によって刊行された「横浜の伝説と口碑」(横浜市立中央図書館で閲覧できました)をひもといてみると、

 

開港以前の横浜の姿を神奈川の台場から眺めてみると、あたかも蒼い龍が海波に蹴って躍り出たかのやうに見られる。

 

と記載されているのも面白いものです。

これは、先達様のサイトにも記載されていたことでもあります。

 

さて、この近くには昔から「滝頭」という地名があり、バスの終着地ともなっているので横浜市民にはなじみの深い地名ですが、この滝頭というものも何か龍に関係しそうな地名だと思います。

 

この土地を管理されているN様のお宅に訪問させていただきましたが、あいにくとお留守だったために取材はかないませんでした。

 

ただ、先達様のサイトによれば昭和の初めごろ、この地にお住まいになったNさま御一家のもとに娘さんが産まれたが、高熱を出して乳を飲まなくなり困っていたため、この地域で有名だった「拝み屋さん」に診てもらった事があったそうです。

 

拝み屋さんには何かが乗り移ったようになって、「誰の許しを得てここに住んだのか。この地はもともと弁天様のお住まいである。灯りを絶やさずお祀りするなら守護するが、誓えるか」と問われたので誓ったところ、拝み屋さんはバッタリ倒れたかと思うとお祖母さんと娘さんの周りを3回まわったのだそうです。

 

娘さんは無事に元気になり、お母さんが灯りを持って池の周りへいくと、どうも足が進まなくなってしまうところがある。やがて、その場所に白い蛇が現れるようになったので、その場所に小さな祠を建てたのが「青龍弁財天」の始まりである、という事です。

 

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これは昭和の初期という事から、およそ100年近く昔の話となります。

参拝させていただくと、祠の中は綺麗に掃除されて無数の千羽鶴が奉納され、また四季折々の果物たちが並べられており、今なお大切にお守りされていることが伺えます。

 

 

堂内にはいくつものカエルの置物が奉納されています。

かつて、この祠の前にあった池にはカエルがたくさんいたそうです。

いつしかカエルに自分の名前を書いて奉納する人が現れたという事です。

 

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この祠の前には、かつて並々と水をたたえた池がありました。

池というのは、水がたまるところ。

水というものは、すべての生命に無くてはならない、命の根源です。

昔の人は、現代人以上に水を大切にしたのでしょう。

 

今となっては宅地開発の影響で清水が湧くこともなくなり、池はすっかり涸れはてています。

かつては、巳の日ともなれば多くの参拝者が集い、ここの池の水で炊いたお赤飯がふるまわれたこともあったそうです。

 

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今となっては、うっそうとした森に埋もれるようにして青龍弁財天のほこらと池の跡だけが残されており、よく見なければそこに祠があることすら分かりづらくなっています。

しかし、住宅街の中に残されたわずかな自然を求めて多くの小鳥や小動物が集まる貴重な場所ともなっているようです。

 

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いま、このうっそうとした木々の中に抱かれるようにして残されている青龍弁財天の祠にひとり向き合い、自らが巳年であるご縁に感謝して静かに手を合わせているとき、かつては寒村だった堀ノ内の池の周りに人々が集まっては御詠歌を唱え、思い思いの祈りを捧げていた姿が目の前に蘇ってくるかのようです。