みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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養蚕の守り神 皇武神社のおきぬ様(相模原市)

JR横浜線古淵駅矢部駅の中間のあたりに青山学院大学のキャンパスがあります。

その裏手の住宅街の中にある神社が、「おきぬ様信仰の発祥の地」とされる淵野辺の皇武神社で、御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)です。

  

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この神社の創建については詳しいことは分かっていません。

ただ、本殿には江戸時代中期、宝暦元年(1751年)江戸幕府第9代将軍 徳川家重の治世の頃の棟札が残されているそうです。

 

もともと、この皇武神社は明治時代のはじめごろまで、境川に沿ったうっそうとした森の中にあり御嶽神社という名で呼ばれていたそうです。

 

 明治5年、愚策ともいえる神仏分離令によって「皇武神社」と名を改め、明治10年には相次ぐ水害を危惧して境川沿いから一段上った現在のところに引っ越していますが、境内には今も当時の梵鐘が残されているのが見て取れます。

  

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そのため、以前に神社があった地点は「古御嶽(ふるみたけ)」と呼ばれているそうで、「皇武」という名も「みたけ」に当て字をしたものだそうです。

 

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この神社には、この地域に伝わる 「おきぬ様」の逸話が残されています。

むかし、この近辺では養蚕が主要な産業でした。いまのJR横浜線は、生糸を横浜港に運んで輸出するための「シルクロード」であったことは有名な話です。

 

淵野辺の、あるカイコ農家でもカイコの卵から次々と幼虫が孵り、毎日たくさんの桑の葉を食べる忙しい季節がやってきましたが、そんな時に限って働き手のお嫁さんが熱にうなされて寝込んでしまいました。

 

このお嫁さんの家族は大いに困って、皇武神社の神主さんのところに相談に行ったところ、特別にご利益のあるお札を授けられて帰ってきました。

家族たちはさっそくお札を祀って手を合わせたところ、次の日の朝に神主さんの娘さんが手伝いに来た、といって訪ねてきたのです。

 

神主さんの娘さんは驚くほどの働きようで、しかも性格も朗らかで良く笑うので、家じゅうが明るくなりました。

不思議とお嫁さんの病気もあっという間に治ってしまい、その年に出来たカイコのマユも実に立派なものでした。

 

これは神主さんにお礼を言わねばなるまい、と農家の人たちは神主さんの娘を連れて神社を訪れたところ、娘は急に駆け出して拝殿の方に駆け出し、またたくまに白蛇に姿を変えてどこかへ行ってしまったのです。

 

あまりの出来事にしばらく立ち尽くす家族たちでしたが、気を取り直して事の一部始終を神主さんに話しました。

話しを聞いた神主さんは大いに感心して「きっと、白蛇様が私の娘に姿を変えて手伝いに行ったのでしょう」と言うのです。

 

この話は瞬く間に周囲の村々に伝わって、皇武神社のお札は「おきぬ様」と呼ばれる手製の人形とともに信仰され、養蚕が盛んであったころはこのお札と「おきぬ様」を求める人たちでたいそうにぎわったという事です。

  

  

養蚕が盛んであったころは、白蛇弁財天と「おきぬ様」を養蚕の守り神として各家で祀るという風習があったそうですが、やがて養蚕の時代も終わりを告げると「おきぬ様」の信仰もすたれてしまったという事です。

 

いま、森林うっそうと茂る皇武神社の境内をあるくと、当時の情景を思い出させるかのように「蠶守神」(蠶は蚕の旧字)の石碑と小さな祠が並んでいるのが見て取れます。

 

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また、その傍らにはこの「おきぬ様」にまつわる伝説が石碑に残されて、今なお大切に語り継がれているのを目にすることができるのです。

このように、時代の流れに流されすぎずに、地域に伝わる小さな伝説を大切に残していこうという風潮はとても素晴らしいことであると思います。

 

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一時期は国策によって奨励までされ、盛んに行われた養蚕でしたが、今ではすっかりその姿を見ることはなくなってしまいました。

 

みうけんが住む地域にも、古くから残された畑の片隅や墓地の片隅にまで、カイコの幼虫の餌となる桑の古木が残されて、いかに養蚕が浸透していたかを物語っていますが、こうして神社に残された伝説とともに、その歴史を継承していく姿に大きな感動を覚え、思わず皇武神社の拝殿に手を合わせたのです。

 

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