みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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相模原にも残る おしゃもじ様の民間信仰(相模原市)

特に関東で発達した民間信仰の中に、「おしゃもじ様」というものがあります。

正式にはミシャグジ信仰といって、ちょっと聞きなれないものですが、長野県の諏訪地方を中心に関東に広がったといわれる精霊を祀る民間信仰です。

 

これは日本古来の神道ともまた違った形態の古い民間信仰が発祥になっていますが、現在では神道とも深いかかわりを持ち、長野県の諏訪大社を中心として広く信仰されました。

 

民間に広まったという事は、その時代、その地方、信仰した人々によって色々な名前で呼ばれたという背景も持つようになります。

 

ウィキペディアを参考に羅列すれば、「ミシャグチ」「サグジ」「ミサクジ」「ミサグチ」「(お)さんぐうじ 」「(お)しゃごじ 」「じょぐさん」「しゃごっつぁん」「しゃごったん 」など、さまざまな呼び方で呼ばれたそうです。

 

それに従って漢字の当て字も多く組み合わされ、その種類は200通りはくだらないといわれていますが、「御社宮神」「御射宮司」「御社宮司」「御作神」などが主要なものではないか、と言われています。

 

野本三吉氏や北村皆雄氏らによる「古部族研究会」の研究によれば、ミシャグジ信仰の基本的な信仰形態は石の棒を古木の根元に祀ったものとも言われています。

昔の人にとって、古木というのは精霊の宿るところだったのでしょうか。

 

日本では古来より石を信仰する文化があったそうで、特に石の棒は特別なものとされていたそうです。

 

その形が、徐々に男性の性器の形となり、生命を生み出す源として神聖視されていったのも想像に難くありません。

 

今でも、神奈川県内の神社には男性器をかたどった石棒を祀る神社が多く残されており、これも何らかの関係があるのではないか、と思います。

 

 
さて、それにしてもミシャグジという言葉はどうにも聞きなれない言葉で覚えづらいものがあります。

聞き慣れず覚えにくい言葉は、徐々に「聞いたことがある言葉」にとって変わられる事になります。

 

鎌倉の妙本寺にある蛇苦止堂も、その一形態かもしれません。特に蛇苦止堂については悲しい物語が別に秘められており、いつか訪問してみたいと思います。

 

名前を聞き慣れた言葉に変えてしまった顕著無例が、神奈川県に多く残る「おしゃもじ様」で、こちらはいつしか百日咳に御利益があるとされるようになり、その神社にお参りして咳が完治した場合にはお礼として「しゃもじ」を納める習慣が今でも残されているところがあります。

 

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実は、相模原市内にもいくつかの「おしゃもじ様」が残されており、今回は2カ所お参りしてきました。

 

まず一か所めが、谷ヶ原の住宅街の片隅にぽつんと残された小さな祠です。

見るからに小さな石の祠で、フェンスが避けて結界のようになっているものの、由来書きもなければ名前すら分からないような状態です。

 

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祠の中にも何もなく、横の陰刻から明治3年3月に作られたという事が分かるのみです。

 

これも、古くからおしゃもじ様と呼ばれて大切にされて来たという事ですが、いまその事をご存知の方はどれほどいらっしゃるでしょう。

 

みうけんも、地域史料に載っていなければ決しておしゃもじ様であるとは分かりようもありませんでした。


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もう一か所は、町屋地区に残された祠。

これもおしゃもじ様だそうですが、やはり由来書きも説明の看板もありません。

 

ただ、こちらは少し広いスペースがあてがわれていますが、そのぶん草が生い茂り、訪れる人もあまりいないようです。

 

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脇には「秋葉大権現」と陰刻された燈篭が残されていました。

秋葉大権現は火伏せの神様として信仰されていましたが、おしゃもじ様と何らかの関係があったのでしょうか、実に気になるところです。

 

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こちらの祠は少々立派な作りです。

ここにも、もはやおしゃもじのお供えはありませんでした。


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これらは地域史料に「おしゃもじ様」として紹介されていたのみで、その詳しい由来や伝説はこれと言って記録を見つけることができません。

 

また、路傍の片隅にあったり、空き地の片隅で雑草に埋もれたりと、その存在すら忘れられようとしているかのようです。

 

しかし、ここにもかつては間違いなく民間信仰としての祠が作られ、里人たちの信仰を集めてきたものかもしれません。

 

百日咳に霊験あらたかな神社か、部落や氏族の守り神たる「祝殿」のような神社であったか、どちらにせよ多くの人々がこの祠の前でひざまづき、お供物をして手を合わせていた時期があったのだということを今にもわずかに思い起こさせています。

 

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