相鉄線いずみ中央駅の前を通る長後街道は、もともと大山詣でに利用された「大山みち」の名残りです。
この長後街道の周辺には、今なお細い旧道が所々に残されています。
さて、いずみ中央駅から長後街道を長後駅方面へ進むと、歩いて10分くらいのところに浄土宗寺院である帰命山 長寿院 無量寺(きみょうさん ちょうじゅいん むりょうじ)があります。
この無量寺は、江戸時代に編纂された歴史史料である「新編相模風土記稿」の「鎌倉郡 山之内荘 上飯田村」の項で、
帰命山 長寿院と号す。浄土宗。鎌倉大町村安養院末。本尊弥陀(筆者注=阿弥陀)を安ず。開山は善如、承応二年四月六日寂
と、簡潔に紹介されているに過ぎないお寺です。
このお寺の御本尊の阿弥陀如来さまは江戸時代の元禄年間に鎌倉扇ヶ谷の仏師後藤左近によって造られた貴重なものだそうです。
寺伝によれば戦国乱世の文禄2年(1593年)に木村左ヱ門により、鎌倉の安養院第19世であった深誉呑霊上人を招いて開山したとあります。
新編相模国風土紀稿には上飯田村において「木村七右衛門知行す」とあるので、その一族かもしれません。
また、もともとは違うところにあったものが天災によって倒壊したために、この地に移転してきたという寺伝も残されているそうです。
さて、本堂の脇に小さな板碑が残されています。
この板碑には一遍上人五十二代 南無阿弥陀仏 花押 と陰刻されています。
一遍上人といえば浄土宗の僧として身を立て、のちのち「南無阿弥陀仏」とのみ唱えれば極楽往生できるという踊り念仏を広めた時宗の開祖です。
多くの人が、この名号碑の前で手を合わせたさまが目に浮かぶかのようです。
また、無量寺の境内には高さ20mをこえる銀杏の古木が聳え、鎌倉時代末期の元徳年間(1329年〜1331年)に造立された板碑なども残されています。
この板碑は阿弥陀如来を中心とし、向かって左に勢至菩薩、右手に観音菩薩を据えた阿弥陀三尊のもので、現在は御影石製の枠に嵌め込まれ、大切にされています。
このあたりは元々、東西に伸びる大山道と南北に伸びる鎌倉道が交差するところでもあり、交通の要所でもありました。
今となっては農村と住宅地が広がるばかりの静かなところですが、当時としては旅人が行き交う賑やかなところだったのでしょう。
せっかく参詣させていただいたので、本堂前と無縁仏さまの前で礼拝と読経をし、御朱印を頂戴しました。
以前にもいただいたことがありますが、整然として美しい書体の御朱印です。
みうけんはもう10年も前、この無量寺のすぐ裏手のアパートを借りて住んでいたことがあり、そのころから無量寺はとても親しんだお寺でした。
アパートの前から眺めていると、毎朝毎夕、御住職が丁寧に合掌されながらひとつひとつ鐘をおつきになっていた光景を、昨日のことのように思い出します。
いま、静かな無量寺の境内を一人歩くとき、かつての鎌倉街道と大山街道を往来した旅人たちが各々足を止めては無量寺に南無阿弥陀仏の六字念仏を唱えて手を合わせ、それから数百年を経た今なお信仰の道は受け継がれていることを思い出し、はるかなる時流の流れをここに実感するのです。
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