三崎口の駅前から三崎街道を北上してしばらく行くと、和田という里があり、三浦大介義明公の孫にあたる和田義盛のゆかりの地であったこと、和田義盛の館の裏鬼門を守っていた安楽寺が戦時中の道路拡張により廃寺となった事は、前回の記事でお伝えしました。
では、江戸後期に編纂された一大地域史料である「新編相模国風土記稿」の中の「三浦郡 衣笠庄 本和田村」の項、「安楽寺」の記述で「本尊は薬師如来 行基作 長2尺7寸5分」と書かれた薬師如来さまはどうなってしまったのか。
その答えを求めてやってきたのが、安楽寺跡から三崎街道を挟んで反対側にある浄土宗寺院、仏照山 天養院 宝泉寺です。
通常は天養院と呼ばれているようで、地図にもそのように表記されています。
このお寺は鎌倉にある光明寺の末寺で、現在では本堂の周りに墓地ばかりが広がる、どこにでもありそうな普通のお寺のような趣きです。
元々、このあたりは和田義盛の本拠地であり、館の跡や菩提寺が残されている土地でもあります。
江戸後期に編纂された一大地域史料である「新編相模国風土記稿」の中の「三浦郡 衣笠庄 本和田村」の項の「天養院」のところでは、
天養院
五却山宝泉寺と号す。浄土宗。鎌倉光明寺の末。本尊阿弥陀。永禄二年、性誉上人(真蓮社と号す、永禄四年正月十五日没)。開基 長澤和泉(村民平左衛門の祖先)。
とあります。
廃寺となった安楽寺はもともと、この天養院の末寺であった縁から、ご本尊さまであった薬師如来さまはこちらの天養院さまに引き取られる事になりました。
ごくたまに、「この薬師如来は天養院の本尊である」という史料を見かけますが、それは間違いで、あくまでも天養院の御本尊さまは「新編相模国風土記稿」で「本尊阿弥陀」と書かれているように、本堂内陣中央にいらっしゃる阿弥陀如来さまなのです。
では、さっそくご住職にお願いしてお参りさせていただきました。
「ごゆっくりどうぞ」とのことでしたので、ハイハイとゆっくりさせていただきました(笑
まずは本堂中央の阿弥陀如来さまに合掌礼拝読経をしてから、向かって左手にある薬師如来さまのご尊顔を拝観しました。
お壇の上には三浦一族の紋である三つ引紋がハッキリと見て取れます。
薬師如来さまの脇には日光菩薩さまと月光菩薩さまの立像があり、どちらも神奈川県指定文化財です。
ご住職のお話ではどれも平安時代ごろのもので、やはり行基菩薩の作とされているそうです。
薬師如来さまの高さは約75センチあり、一本造り彫眼の座像で、そのお姿は均整がとれ、その翻波式衣文は平安時代の特徴を活かしている、と松浦豊氏の著書「三浦半島の史跡と伝説 」に説明されていますが、なるほど全体にバランスが良く実に美しい薬師如来さまだと思います。
もともと、薬師如来さまというものは人々を病の苦しみと恐怖から救う慈悲深い如来さまで、鎌倉時代には特に鎌倉武士たちの信仰を集めたといい、この天養院の薬師如来さまも手の上に薬瓶をお持ちになっておられます。
さて、この薬師如来さまのお顔には、右目のところに大きな傷跡が残されているのが分かります。
これが今回のお話のポイントです。
もともと、この薬師如来さまは和田義盛が館の鬼門を守護すべく建立した安楽寺の御本尊様であったことは先にも述べた通りですが、和田義盛は執権北条氏との終わることのない勢力争いを続けており、犬猿の仲ともいえる存在で、ついに和田氏は北条氏を討伐することを決意します。
建保元年(1213年)、北条氏に対して和田氏の一族が挙兵した和田合戦がはじまった際、和田義盛は激しい戦の中で顔面に大きな刀傷を負いますが、不思議と痛みを感じません。
そのために大いに奮戦し、帰ってきてからこの薬師如来さまの前にぬかづいて尊命の喜びを報告するや、この薬師如来さまの顔は大きく裂けて血が流れ出ており、これを薬師如来さまが身代わりになってくださったと感じた和田義盛主従たちは、この薬師如来さまを念持仏としてよりいっそう信仰を深くしたと言われています。
この薬師如来さまの前には、ちょこんとお座りになっている武将の像があります。
これが在りし日の和田義盛を写し取ったもので、その前には三つ引紋を擁した大きな位牌が祀られています。
これこそは和田義盛の位牌で、その戒名は「筌竜院殿前左衛門尉義盛安楽大居士」。
建暦3年(1213年)のものだそうです。
少し写真がブレてしまいましたが、この和田義盛はしっかりと兜をかぶっているものの、その兜には鍬形などの飾りが無く、質実剛健としたものです。
昔の鎌倉武将というのは、みんなこんな感じだったのでしょうか。
せっかくでしたので、御朱印を頂戴しました。
この薬師如来さまに出会えたご縁と有難みを、しみじみと実感できました。
本当にありがたいことです。
いま、時代は令和、和田合戦から800年もたちました。
そんな時代の流れに合っても、こうして静けさと香華の香りが支配する冬の本堂の中で、ひとり座してこの薬師如来さまに向かい合っているとき、かつての豪将たちが甲冑をまとったままの姿でこの御前にぬかづき、ひたすら戦勝の加護と身の安泰を祈り続けた姿が目に浮かんでくるかのようで、より一層の感動を覚えたのです。