鶴見区の矢向という町、矢向小学校のところに、住宅街の中に埋もれるようにしてひっそりとたたずむ静かなお寺があります。
浄土宗寺院である記主山 然阿院 良忠寺です。
このお寺の歴史は古く、寺伝はもちろんのこと、江戸時代後期に編纂された一大歴史資料である「新編武蔵国風土紀稿」にも、その不思議な起源が詳しく紹介されています。
時代は鎌倉時代の仁治元年(1240年)までさかのぼります。
諸国を行脚しつつ浄土宗の教えを説いて回った、浄土宗の第3祖とされる然阿良忠(ねんな りょうちゅう)上人が霊夢をうけ、現在の鶴見川である「古川」の岸で薬師如来の尊像を見つけ、これを安置した庵が始まりとされています。
このような神社仏閣を巡る旅をしていると、いくつかの共通点というか、似通った現象がある事に気が付かされます。
まず、多くの仏像はだいたいが「行基菩薩の作」と伝わること。
そして、日蓮上人や弘法大師にまつわる不可思議な言い伝えが多いこと。
そして、御神体や仏像を海や川で見つけて安置したのが始まり、という事例が多い事です。
ここ良忠寺もその例に漏れず、鶴見川の岸に流れ着いた薬師如来の仏像を安置したのが始まりという事です。
さて、せっかく参詣したので、御朱印を拝受してきました。
力強い筆致の御朱印で、有難みもひとしおです。
いま、冬も終わりに近づいた夕暮れの中で、数珠をもち合掌しながら本堂にてお経を上げさせていただきました。
静謐さが支配する、この良忠寺の本堂の雰囲気はどこまでも厳かで、その豪華な内陣はまるで西方の極楽浄土そのもののような威厳をそなえています。
いま、ここにこうして新しく仏縁を得たことに対して、御住職とご本尊さまに深くお礼を述べ、感謝の気持ちで良忠寺を後にしたのです。
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