みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※記事は基本的に毎日18時に更新です。

飢饉の思い出を今に伝える 春日神社の梵字供養塔(横浜市港南区)

横浜市から横須賀市へと繋がる横浜横須賀道路、通称「ヨコヨコ」の日野インターチェンジすぐわきにあるのが日野の里の総鎮守として崇敬を集める、春日神社です。

 

この春日神社は地元では「春日さま」とも呼ばれて親しまれ、御祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)で、その創建は古く、千年ちかくむかしの康和元年(1099年)にさかのぼります。

 

この春日神社の鳥居の脇には、うっそうと茂る木の梢に抱かれるようにして、いくつかの石塔が今なお残されているのが目に入ります。

  

f:id:yokohamamiuken:20210520220409j:image

 

そのうちの一基、前面に6文字の梵字が刻まれた石塔が目に入りました。

表面の陰刻は「アビラウンケン」と刻まれ、これはすなわち大日如来をさす真言で、大日如来はすべての諸仏や菩薩の化身ともされています。

 

この梵字にあらわされた大日如来に祈りを捧げるということは、すなわちすべてのありとあらゆる諸仏に祈りを捧げたのと同じ功徳を得られるということです。

 

f:id:yokohamamiuken:20210520220450j:image

 

この真言梵字の石塔は、天保12年(1841年)の陰刻が刻まれています。

天保年間といえば、悪天候に端を発して全国に多大な犠牲者を出した「天明の大飢饉」に続いて、さらに被害の大きい「天保の大飢饉」があった年代であることは、歴史に詳しい方ならばすぐに思い起こされるのではないでしょうか。

 

f:id:yokohamamiuken:20210520220432j:image

 

天保の大飢饉は、もともと飢饉が収まりきらない頃に長らくの長雨・洪水・冷害によって大飢饉を引き起こし、特に東北ではその被害は大きく、雪をかき分けてようやく収穫した稲ですら1株に米が2~3粒しか実らないありさまだったといいます。

 

比較的温暖なはずの宮下村でも全国的なコメ相場の高騰などにより、47戸のうち12戸は断絶、9戸は断絶も同然の状態で、280人いた村人も半分にまで減ったといいます。

 

あの有名な「大塩平八郎の乱」があったのもこのころで、日本全国がいかにひどい状況であったかがわかります。

 

f:id:yokohamamiuken:20210520220440j:image

 

これにより、村人たちは飢饉の被害を一日も早く過去のものとし、すべてのあまねく世の中の生きとし生けるものが、平和で災害にも苦しまず、また次こそは作物が豊作となって安楽に過ごせるようにという願いが込められて建立されたということが、はっきりと側面に陰刻されています。

 

f:id:yokohamamiuken:20210520220432j:image

 

このほかには、苔むした不動明王や庚申塔がもの言わずしてたたずみ、ずっと里人たちの生活を見守ってきました。

 

大飢饉から明治維新、続く戦争と敗戦、景気と不景気、そして現在のコロナ禍まで。

 

力づくで民衆を仏道に引きずり込んで守るといわれた不動明王は、どのようなお気持ちで現代の世を眺めていらっしゃるのでしょうか。
 
f:id:yokohamamiuken:20210520220445j:image

 

いま、時は変わり、人々の信仰心も薄れて石仏に手を合わせる人も少なく、この御真言の意味を知る人もだいぶ減ったと思います。

 

小さな神祠も、その謂れもご祭神も伝えられることもなく、日々積もる落ち葉に埋もれ、まるでこのまま消えていこうとしているかのようです。


f:id:yokohamamiuken:20210520220454j:image

 

初夏の夕日が差し込む静かな平日の日、訪れる人もまばらな石塔群の前でひとりひざまづいて手を合わせるとき、かつてこの村で骸骨のようになり、親が子を、子が親を食べる飢餓地獄の中で息絶えていった罪なき人たちと、そのような形で家族を見送った里人たちの悲しげな断末魔の叫びが聞こえてくるようで、ここにも時の流れの無常さをそくそくと思い起こしたのです。

 

 

 

【みうけんさんおススメの本もどうぞ】