先日、中井町の「厳島弁天に伝わる 神徳を得た漁師の伝説(中井町)」という記事で、明るく開かれた森林に抱かれた風光明媚な湿性公園と弁才天さまの紹介をしました。
前回とかぶるので、この神社の詳しい説明は今回は割愛しますが、この神社にはご神体にまつわる不思議な伝説がもう一つ残されているので紹介したいと思います。
ある日、この厳島神社に若い神主が着任しました。
神主は日々のおつとめをそつなくこなしていましたが、厳島神社のご神体は固い扉に閉ざされた厨子の中に納められておりその様子をうかがい知ることはできませんでした。
どうしても気になった神主は、手あたり次第の人に「ご神体はどんな姿か」を訪ねてみますが、その姿を見たものは村人はおろか、神職ですら誰もいなかったのです。
やがて、どうしても好奇心を抑えられなくなった神主は、決して開いてはならないとされていた厨子の観音扉を、とうとう開けてしまったのです。
すると、瞬く間に周囲はまばゆい金色の光に覆われました。
目もくらむほどにまばゆい光を放っていたのは、まごう事なき厨子の中の弁財天さまの坐像だったのです。
その弁財天さまは一見すると穏やかに微笑んでいるのですが、その笑みの中に秘められた怒りを敏感に感じ取った神主は、神さまを冒瀆してしまったことを深く後悔し、すぐさま扉を閉ざすと恐ろしさのあまり自宅へと逃げ帰ってしまったのです。
その日から神主は、激しい胸の痛みに襲われました。
その痛みは全身を駆け巡り、部屋中をのたうち回り苦しさのあまりに声も出ません。
家族はその姿を見て、すぐさま「これはご神体をのぞいた神罰だ」と直感すると、すがる思いで祝詞を何度も何度もくり返し奏上したのです。
すると不思議なことに痛みは治まり、この神主は元気な体に戻ったという事です。
それからというもの、この神主とその一家は今までより信心をより深くし、ますます神様によくおつかえしたという事です。
いま、この厳島の湿性公園の中心におわす弁財天さまの祠は固く閉ざされ、その中を窺い知ることはできず、祠につながる苔むした石段だけが時の流れを語っているかのようです。
それでもなお、厳島の弁天さまは静かに、物をいうこともなく、この公園を散策する多くの人たちの生活を静かにお見守りになっているのです。
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