JR二宮駅前から延びる県道71号線を北上し、途中からは脇道となる旧道をさらに北上していきました。
そこは、農村の合間に住宅が立ち並ぶ、神奈川県によくみられる牧歌的な光景が広がるところです。
そんな中に原付を走らせていくと、やがて「水を飲みに出た竜」で有名な米倉寺を過ぎたところに、明るく開かれた森林に抱かれた風光明媚な湿性公園にたどり着くことができます。
道路から石段をくだって行くと、その先には一面の湿地をまたぐように、真っ直ぐに伸びる桟橋のような参道が続き、その果てには真紅の鳥居と鬱蒼とした木々に守られた弁財天の社が建っています。
このような湿性公園の中心に池があることは珍しくはないのですが、こうして公園の中心として弁財天が祀られている例はなかなか珍しいと言えるのではないかなと思います。
また、この湿地帯には多様な水生動植物が多く棲んでいます。
中でもシュレーゲルアオガエル、ホトケドジョウなどの希少な生き物が確認されており、5月中旬から下旬にはゲンジボタル、6月下旬から7月中旬にはヘイケボタルの観賞を楽しむことができるのです。
さて、この弁天様には聞くも不思議な伝説が今なお語りつがれています。
ここから南側に4キロと少し行ったところ、二宮町に吾妻神社という神社があります。
この吾妻神社は「弟橘媛」(おとたちばなひめ)をご祭神とし、ご神体には「櫛」を祀っています。
この櫛は、景行天皇の皇子であった日本武尊の船が相模灘で暴風雨にあって沈みかけた時に、弟橘媛が日本武尊の身代わりにと身を投げて救った時の持ち物とされています。
この伝説は横須賀の走水神社にも伝わっており、当ブログでも過去に何度も紹介させて頂きました。
この地域では、この櫛は旧山西村(現在の二宮町山西)の漁師の網にかかったものと言い伝えられています。
それからしばらくして、この漁師の網元の夢枕に神様がお立ちになり、「過日、網で曳き揚あげた「鏡」が、いまは葛川上流の泉の湧き出る神社に安置されておる。貴重な品故、厚く信奉するがよい」とお告げになりました。
翌朝、さっそく網子を集めて昨夜のお告げを伝え、葛川の流れる近辺をくまなく探したところ、先ほども紹介した厳島神社(弁天様)に鏡が奉納されていたことがわかったのです。
網元は厳島神社の神主に一部始終をすっかり話して氏子としてもらい、多額の浄財や鳥居を寄付するなどたいそう熱心に信心していたということです。
それからというもの、網元のところでは近年にないよう大漁が続きました。
厳島神社のご加護に違いないと考え、網元はその日その日に網にかかった新鮮な魚介もお供えするようになったという事です。
今では多くの人たちが散策に訪れ、この小さな社に足を止めて手を合わせる人はあまりいませんが、古びた石段にはたしかに昔からの人の歩みを刻み続け、その言い伝えとともに今に伝えています。
いま、静寂に包まれた弁財天社の前にひとり立って手を合わせているとき、今よりも水がずっと大切にされていた昔日に生きた人々の、限りない信心深さと謙虚な暮らしぶりが、にわかに思い出されてくるのです。
この厳島弁財天のお話は、次に続きます。
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