②歴史と民話とツーリング-相模原市
神奈川県の相模原市には、「縁切り橋」という伝説が残された橋が2つあります。 片方は、境川の縁切り橋で、東淵野辺2丁目と町田市木曽西12丁目を結ぶ中里橋。 こちらは南北朝時代に、淵辺義博が妻子とお別れしたという伝説が残っており、「縁切り榎」と…
神奈川県西北部のターミナル駅である橋本駅の北口を出て、すぐ西側に細い路地が続いています。 位置関係を文章で説明するのも難しいので地図を見ていただきたく思います。 この路地は 駅近くでありながらこれといったお店なども少なく、時折駐輪場に出入りす…
神奈川県の中でも北西に位置するターミナル駅にJR線と京王線の橋本駅があります。 この西側、現在は橋本郵便局・ホームセンターコーナン・北警察署から橋本公園までに至る一帯は、国鉄の橋本自動車工場という工場があったところです。 現在、地域の中心と…
JR横浜線の相模原駅とJR相模線の南橋本駅の中間のあたり、その名も「氷川通り」の走る「氷川神社前」の交差点のところにあるのが相模原市清新の氷川神社です。 ここの御祭神は「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」であり、日本神話の天岩戸のお話では乱暴狼…
JR線と京王線が繋がり、発展も著しい橋本駅界隈は、今となっては横浜や横須賀の主要駅に近いほどの賑わいようです。 しかし、これほどまでに発展した橋本もかつては戦国時代の甲冑が発掘されたことがある因縁の場所なのです。 その場所は橋本2丁目交差点…
家族連れやカップルでにぎわう相模湖リゾートプレジャーフォレスト、静かな湖面と緑の山々が見た目にも瑞々しい風光明媚な相模湖のほとりに、山の木々に抱かれるようにしてあるのが臨済宗建長寺派の寺院、大智山 正覚禅寺です。 この正覚寺は、約1100年…
相模湖畔の南側、風光明媚な山の中を縫うようにして走るのが神奈川県の県道517号線です。 この辺りは最近まで神奈川県津久井郡藤野町という町でしたが、最近になって相模原市へと合併されて相模原市の一部となりました。 道沿いにチラホラと民家は立って…
相模原市のなか、広大な敷地を誇る米軍相模原補給廠(返還決定)の近くに、普段は静かな住宅街である上矢部という地域があります。 このあたりは観光地でもないので訪れる人も限られていますが、中世には豪族矢部氏が城を構えるなど、なかなかに歴史が深いと…
JR相模線の線路と並ぶようにして流れる鳩川は、古くから人々の暮らしに密接してきた川です。 そのため、この流域には昔からいろいろな逸話が残されています。 ある日、南橋本駅と上溝駅のちょうど中間あたりの「てるて幼稚園」の近くを原付で走っていたと…
JR横浜線の車窓から、どこまでも続いているかのような広々とした草原の中に、いかにもアメリカ風といった建物や軍用車両が並んでいる様を見ることができますが、これが米軍相模原補給廠です。 ベトナム戦争の際には破壊された戦車の修理工場などとしても機能…
以前、戦国武将であった北条氏照と、その一人娘であったとされる貞心尼の伝説を書いたことがあります。 その貞心尼の墓があるというのが、相模原市下溝にある龍淵山 天応院です。 このお寺は曹洞宗で、もともと栃木県の佐野にあったそうですが戦国時代に焼失…
JR横浜線の相模原駅とJR相模線の南橋本駅の中間のあたり、その名も「氷川通り」の走る「氷川神社前」の交差点のところにあるのが相模原市清新の氷川神社です。 ここの御祭神は「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」であり、日本神話の天岩戸のお話では乱暴狼…
JR横浜線の淵野辺駅の南側に、鹿沼公園という公園があります。 駅前の立地でありながら交通公園や池、本物の蒸気機関車の展示などがあり、広々とした公園でいつも子供たちの憩いの場となっています。 駅前の住宅地で、このような立派な公園があるというこ…
JR相模線、南橋本駅からまっすぐ西側へ2キロほどいったところ、相模原北公園近くのバス停に面した一角にこぢんまりとした神社があります。 この神社は「日之森神社」というのが正式なようですが、一般に広く「日の宮さま」と呼ばれ、特に境内は「お日の森…
JR横浜線の相模原駅とJR相模線の南橋本駅の中間のあたり、その名も「氷川通り」の走る「氷川神社前」の交差点のところにあるのが相模原市清新の氷川神社です。 ここの御祭神は「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」であり、日本神話の天岩戸のお話では乱暴狼…
相模原市の、どの駅からも遠く離れた大島というところがあります。 観光客なども決していないような静かな住宅街で、近くには相模川が流れているくらいのところです。 そんな静かな住宅街の一角に、日蓮宗寺院である三宮山 法性寺があります。 このお寺は、…
町田駅の南側、鶴園小学校の東側のところは比較的新しい住宅街ですが、どこかしら昔懐かしい雰囲気も漂わせています。 土地の人は、この辺りを古くから中和田とよんできました。 その中和田にある小ぢんまりとした神社が、いわゆる惣吉稲荷です。 惣吉稲荷は…
相模原市上鶴間本町の、境川の流れのほとりに中和田というところがあり、その中心となっているのが曹洞宗寺院である中和山 泉龍寺です。 このお寺はもともと浄土宗の西光庵という庵でしたが、戦国時代から江戸時代にかけて曹洞宗に改められ、名も泉龍寺と改…
小田急江ノ島線には鶴間駅という駅があります。 各駅停車しか止まらない地味な駅ではありますが、この地域に付けられた鶴間という地名には興味深い由来があるというのです。 広義の鶴間は、東林間駅から境川までの上鶴間、現在はつきみ野や中央林間と町名を…
小田急線の中央林間駅と小田急相模原駅の中間のあたり、今ではすっかり住宅街となった一角に、こぎれいにまとめられた坪庭が美しい「翠ヶ丘出雲神社」(みどりがおかいずもじんじゃ)という神社があります。 大国主命が御祭神で、8月第3日曜日がお祭りの日…
JR下溝駅から北東に200mほど行った鳩川のほとりに、天文年間の創建と伝承される下溝八幡宮があり、その祭神は応神天皇、その祭礼は毎年の8月28日である。 正確な創建年は明らかではないが、伝承によると溝郷が上溝村と下溝村に分かれた天文年間(1…
近頃開通した圏央道の相模原愛川インターチェンジの周囲は、最近まで農村地帯の風情を残していたが圏央道のインターチェンジ完成を契機に一気に発展が加速し、その栄えぶりはたいへんなものである。 その相模原愛川インターチェンジの東側も例外に漏れず田畑…
相模原市南区の下磯部というところは駅からも離れた閑静な住宅地であるが、磯部のバス折り返し場の脇にぽつんと稲荷社が佇んでいるのが見え、この稲荷社は地元では「もんや稲荷」と呼ばれて大切にされている。 江戸時代、この辺りには元々「もんや」という豪…
江戸時代の終わりころ、上磯部の南のはずれに「まんじ屋」という屋号の酒屋(現在は川崎姓)があった。 そこに、鎌倉の建長寺の僧と称する一行が宿をとった。何しろ「した~に、した~に」という触れ声もいかめしく到着したものだから、同家では下へも置かぬ…
JR相模線原当麻駅の東側、麻溝公園競技場は現在はギオンスタジアムと呼ばれて相模原市民に親しまれているが、その裏手の道路はスタジアムがあるなどとはにわかに信じがたくなるような山間の街道といったたたずまいを見せている。 その街道は下原やえざくら…
相模原市上磯部には城条家(写真)という旧家が残されており、今なお相模川の流れがぶつかる崖の上にある。古くは城条城という城があったと伝えられているが、洪水のたびに崖はだんだんと浸食されて、いまはその面影はない。 この城条一家では、現在大角豆(…
JR相模線原当麻の駅から西に150メートル、原当麻駅入り口の交差点脇には観心寺という小さく目立たないお寺がある。 山号を聲音山という時宗の寺院で、本尊は聖観世音菩薩である。 この観心寺のあたりには旧家として松本家や中島家があるが、観心寺に縁…
相模線番田駅の西側に青々と広がる田名バーディゴルフ場の裏山には、河岸段丘の上に登っていく細い登り坂があり、これを法仙坊坂と読んでいる。 この坂を登り切ると畑が広がるところであるが、その手前の脇道に逸れると産業廃棄物処分場があり、その片隅には…
相模原市上九沢の横山下にある鳩川谷の水源から始まり、下溝のあたりから相模川に流れていく小川を、「鳩川」と呼んでいる。 相模線の番田駅の東側に鳩川にかかる小さな橋があり、その名を「今橋」というが、このあたりにはかつて「見つめ入道」という妖怪が…
相模線上溝駅から南西に進み、ヨークマートのある上田名をすぎると、相模川沿いに田名八幡宮という神社がある。 田名八幡宮は、延暦17年(798年)の創建と言われ、天地社(天地大明神)が元々の氏神だったのではないのかとも言われている。 江戸時代に…