相模原市上磯部には城条家(写真)という旧家が残されており、今なお相模川の流れがぶつかる崖の上にある。古くは城条城という城があったと伝えられているが、洪水のたびに崖はだんだんと浸食されて、いまはその面影はない。
この城条一家では、現在大角豆(ささげ)を作らないのが家例となっているようである。
郷土資料によると、むかし海老名の有鹿神社の神霊が蛇の姿で川の流れをさかのぼってきた。
そしてこの場所に打ち上げられたとき、ちょうどそこで作られていた大角豆のサヤで目を突いてしまい傷を負ってしまったからだという。
その故事にならい、有鹿神社の付近でも御祭礼の際には大角豆を入れた御馳走は作らない習わしが残っていた、という事である。
また一説には、蛇の姿で大角豆で目を突いたのは、対岸の愛甲郡小沢の城主、小沢太郎の娘であったとも言われている。
それは、この上磯部の城条氏が媒酌人となり、すでに有鹿郷の郷主のもとに縁付かせることに決まっていたが、降ってわいたような戦乱に翻弄されて娘は追い詰められて投身し、蛇か龍へと姿を変えたという伝説に基づいている。
いま、何の変哲もないような住宅地の一角にも、このような伝説が残されて語り継がれているという事が、なによりも面白く民話というものの奥深さを教えてくれるのである。