小田急線の中央林間駅と小田急相模原駅の中間のあたり、今ではすっかり住宅街となった一角に、こぎれいにまとめられた坪庭が美しい「翠ヶ丘出雲神社」(みどりがおかいずもじんじゃ)という神社があります。
大国主命が御祭神で、8月第3日曜日がお祭りの日だそうです。
この翠ヶ丘出雲神社の創建は新しく、昭和の時代となっています。
ですから、江戸時代に編纂された「新編相模風土記稿」などには記載されていません。
太平洋戦争がはじまり、次第に日本本土にも米軍機などの爆撃が始まると、多くの人が都会から疎開してきてはこの地に移り住みました。
その当時はこの辺りは一面の雑木林で、昼間でも薄暗く、訪れる人もあまりいないところだったといいます。
このあたりに住んだのは、主に東京の目黒や浅草などから移り住んできた人たちで、彼らは雑木林を切り開き、食べて生きていくための必死の開墾生活に身を投じました。
その生活は厳しく辛いものでしたが、戦争が終わって昭和30年代に入ると次第に生活にも余裕ができ、やがてこの辺りに住んでいた83世帯の人々の間から自分たちの神社をつくろうとの声があがってきたのです。
そこで、昭和32年、東京の六本木にある出雲神社から分霊を受けたのがこの翠ヶ丘出雲神社だとされています。
当時の人々の念願だった神社は小ぢんまりとしていますが、今なお地域の住民や氏子たちによって農耕、福徳、縁結びの神としてあがめられ、常日頃から綺麗に保たれ、拝殿の中にはきちんと灯りがともされるなど大切にされているさまが分かります。
御祭神の大国主命の使いはウサギです。
これは有名な神話「因幡の白うさぎ」にちなむものですが、ここにも立派なウサギの石像が祀られています。
いま、この小ぢんまりとした境内を見て歩き、ひんやりとしたウサギの頭を手でなでるとき、その神社に込められた開拓民たちの素朴な信心がひしひしと伝わって来るかのようで、ここにも時の流れの速さというものをしみじみと感じるのです。