家族連れやカップルでにぎわう相模湖リゾートプレジャーフォレスト、静かな湖面と緑の山々が見た目にも瑞々しい風光明媚な相模湖のほとりに、山の木々に抱かれるようにしてあるのが臨済宗建長寺派の寺院、大智山 正覚禅寺です。
この正覚寺は、約1100年も前に開創されたといわれています。
もともとは鎌倉桐ケ谷にあったとされる真言宗宝積寺の一派で、現在の場所から300mほど西側、バス停「石老山入口」南方にあったと伝えられています。
嘉慶元年(1387年)、鎌倉建長寺派の第28世覚海禅師の法孫であり、雲居寺を開山された鎌渓禅師の法嗣、雲潭玄陰和尚が臨済宗建長寺派に改めたものの、永禄12年(1569)の三増合戦では武田信玄の軍勢によって堂宇を焼き払われるという災難にあっています。
その後再建するものの寺男の失態により再び灰燼に帰すると、現在の地に移転再建されて今の姿になったという事です。
このお寺は俳句寺としても有名で、境内には西行法師の歌碑をはじめ、柳田国男の句碑、また近隣の住民や俳句が好きな人が集って開かれる「俳句大会」の句碑などが境内に所せましとならび、その一句一句を読みながら歩くのも楽しいものです。
他にも、木に飲み込まれたがまがえるの石像や「狸和尚の化首」の昔話などいろいろな見どころがあり、特に「狸和尚の化首」は「かながわのむかしばなし50選」にも選ばれたものなので、次の回にでも紹介してみたいなと思います。
さて、このお寺の本堂の前には道祖神が祀られています。
元来、道祖神というものは村に災厄や疫病が入り込まないように、村の入り口となる辻や村境に置かれるのがふつうでした。
その多くは邇邇芸命(ニニギノミコト)が天孫降臨される際に道の案内をした猿田彦神と、その妻といわれる天宇受売命(アメノウズメノミコト)が祀られています。
猿田彦は道祖神として多く祀られ、日本神話の中で道に関わる神であったことから街道の神としても信仰されたようです。
この夫婦はとても仲が良かったことから、夫婦和合と平和の象徴、家族繁栄=村の繁栄の象徴としてシンボル的な存在へと発展していきました。
そのため、ここ正覚禅寺の門前の道祖神も、夫婦が仲良く寄り添っている姿が描かれていますし、他の道祖神ではただ並んでいるだけものが多い中で、この道祖神は天宇受売命と思わしき方が猿田彦と思わしき方に腕を組んでいるような、いかにも仲の良さそうな夫婦像を描いています。
また、この脇には立派な男性器をかたどった石像があるかと思いきや、
女性器といわれる石像に何かが差し込まれている、いかにも生々しい石像が残されていたりもします。
先ほども書いたように道祖神は夫婦和合の神様でありますが、夫婦和合という事はただ仲が良いというだけではなく、子孫繁栄と縁結び、ひいては「性の神」としても信仰されてきたという事ですから、このような造像になったのでしょう。
この道祖神の案内看板にも、
何れも石神で双身(神)像があり陰陽の表徴である。この地区には他三基の双身像がある。男女性器神像もあるが拝むと子宝に恵まれる。
と説明されています。
今のように医療が発達していなかった頃、子どもたちが生き延びて大人になること自体が大変な事でした。
夫婦相和し、丈夫な子供を産み、立派に育て上げる。
昔も今も、この当たり前のような事がとても難しいことではありますが、特に科学の発達していなかった頃の人たちは、こうして神仏に祈りをささげて子孫の繁栄を願ったことでしょう。
いま、この道祖神の前にたたずんみ眺めていると、かつて多くの若い夫婦たちが足を止めて手を合わせていった昔日の情景が思い起こされます。