みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

歌川広重「小泉夜雨」と 宇賀福弁財天社(横浜市金沢区)

横浜市から鎌倉市へと向かう鎌倉街道を進み、関の下の交差点から金沢八景へと伸びていくのが笹下釜利谷街道です。

 

かつては「かねさはみち」として主要道路であったものが、一部で裏手には旧道を残しながら今なお主要な幹線道路として活躍しています。

 

その笹下釜利谷街道を南下し、打越と栗木の交差点を経て一人ざわまで至ると、一本入ったところに鬱蒼とした鎮守の森が現れます。

 

これこそが、北条氏康の家臣であり釜利谷の領主でもあった伊丹佐京亮が文明5年(1472年)9月に瀬戸神社の御分霊をもらいうけ、釜利谷の総鎮守として祀ったと言われている「手子神社」なのです。

 

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この神社は創建以来、戦国時代の明応年間(1492年~1500年)から天正年間(1573年~1591年)に渡って修復と増築を繰り返してきました。

 

北条氏が滅亡してから、しばらくは村民たちの間で細々と継承されてきましたが、この神社を創建した伊丹氏の末裔であり江戸の浅草寺の僧正に就いていた智楽院忠運上人によって延宝7年(1679年)に再興され、今に続いています。

 

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それ以降は釜利谷近辺の総鎮守として守られ続け、その御祭神は瀬戸神社と同じ大山津見神(おおやまつみのかみ)です。

 

この神様は「古事記」では大山津見神、「日本書紀」では大山祇神と表記しますがどちらも読みは「おおやまつみのかみ」で、日本全国の山々を守護する神様であるとされています。

 

この神様が守る山というものは、人々のみならず森羅万象すべての生物たちに無くてはならない水源地を守る神として、まさにすべての生命の源であると信仰されている国土神とも呼べる存在です。

 

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「手子神社」の「テコ」とは、古語で幼い子をさす言葉であり、瀬戸神社の若宮として創建されたことの証でもあります。

 

さて、この歴史ある手子神社に参拝して、向かって左側に目をやると小さな石窟が見えてきます。

 

この鳥居の脇には「小泉山 竹生嶋 辨財天社」と陰刻された石柱が見えますが、これは通称で小泉弁財天社とも呼ばれ、その薄暗い洞窟の奥深くには「宇賀福神」が祀られています。

 

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弁財天というのはいくつかの形態があり、色気のある女神が琵琶を持つ姿、または宝剣や宝珠を持つ姿が一般的ですが、これはヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが仏教の尊格である弁財天として発展したもので日本古来の神道では顔は人間、体は蛇というものがありました。

これが宇賀福神の姿で、財をもたらす福神として信仰されました。

 

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景勝地金沢の風光明媚な光景を讃えた金沢八景には歌川広重の「小泉夜雨」というものがあります。

この中には、しとしとと降る雨の中に霞とともにある小泉の弁財天が登場します。

 

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瀬戸の入江から眺めるこの光景ですが、この弁財天はもともとはもっと奥の山の中に祀られていたものだそうです。

 

この地は浅草とも縁が深いようで、浅草にある天龍山 玉宗寺の寺伝である「武州金澤瀟湘夜雨弁財天之 縁起」(第四世安山喜禅 筆)によれば、かつて金沢の奥にまで入江が深く入り込んでおりその脇には琉球嶋 、水晶輪山と呼ばれる小さな岩山があったといいます。

 

ここにも弁財天が祀られていたもののすっかり荒れ果てて見る影もなく、金沢遊覧の際にこれを見て心を痛めた浅草の木島又右衛門尉正尚が、遊覧の際に見た夢を弁財天のお告げであると解釈して小泉弁天庵の鷲山玄峰和尚に弁天社再興の申し出をされたということです。

 

しかし、時は流れて昭和15年(1940年)弁天社があった場所に横須賀海軍工廠の金沢支廠が建設される事となり、現在の手子神社の境内に遷座されました。

 

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現在、手子神社のすぐ脇にはいくつかの横穴が残されています。

これが横穴古墳であるか、鎌倉時代のやぐらであるか、または大東亜戦争の戦争遺跡かは今となっては知る由もありませんが、こうして掘り下げてみると金沢というところの歴史の奥深さに驚かされるのです。

 
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いま、この薄暗い洞窟の中に一人ひざまづき、見るにも奇異なる人頭蛇身の神様に手を合わせて祈りをささげるとき、かつてこの洞窟の中に多くの人が訪れては思い思いの願いをささげたであろう昔日の日々が蘇るようで、一抹の感慨を覚えるのです。