横浜市港南区の、笹下というところがあります。
現在では何の変哲もない郊外の住宅地といった装いですが、遠く戦国時代には「笹下城」というお城があり、また明治時代には久良岐郡の郡役所が開設されて、料亭や銭湯などが並ぶ賑やかなところだったそうです。
ことに、梅の木を愛した小田原北条氏の領地であったことから、現在のJR新杉田駅あたりを中心として「杉田梅」の広大な梅林が広がり、近隣のお寺に梅花院という院号がつくなど、その名残を今にとどめています。
さて、この笹下地域には横浜刑務所があり、それに併設して少年鑑別所や拘置所が並んでいます。
この敷地内に入ると、一目でそれとわかるような高い壁がどこまでも続き、慣れない人には異様な光景に映るようです。
この横浜刑務所の敷地の片隅には、小さな稲荷神社がポツンと祀られています。
これは、現在は笹下稲荷神社と呼ばれており、もともとは横浜刑務所の前身である根岸監獄にあったものが、根岸監獄の移転に合わせてここに移動してきたものです。
根岸監獄は、明治32年(1899年)2月に掘割川沿いに落成しました。
現在の磯子区丸山2丁目のあたり、根岸橋を渡ったところに正門があり、赤煉瓦の塀で囲われた、なかなか広大な面積を誇っていました。
しかし、関東大震災により81棟のうち28棟が全壊すると、現在の笹下地区に移転してきて、現在に続いています。
関東大震災によって、一度は根岸監獄の稲荷祠も失われます。
しかし、横浜刑務所の無事安泰と地域住民の安寧を願い、昭和40年(1965年)に現在の地に再び祀られました。
現在は、地域の保育園の子どもたちが遊びに来たり、地域のお年寄りが時折参拝に訪れるくらいひっそりとした神社ですが、こうして紆余曲折を経て、いまなお笹下に住んでいる人たちの生活を見守っているのです。
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